娘に教えておきたい仕事の話①「なぜ仕事をするのか?」

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幸せになるヒント

どーも気ままお父さんです!

4年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に7歳娘を1人で育てている47才のシングルファザーです。

今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊

どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?

このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。

何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊

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【娘に教えておきたい仕事の話①「なぜ仕事をするのか?」】

1,はじめに

あなたが、このブログを読んでいるということは、お父さんは、もう、この世にはいないということだ。

これから書き綴る「仕事」についてのことは、私が生きていれば、直接、教えてあげられることだ。

実際、今、7歳のあなたに少しずつ教えているし、大人になったあなたにも、直接、教えてあげたいと思っている。

しかし、まだ幼いあなたに教えられることも少ないし、私が、いつどうなるのか、誰にも分からない。

心配しないで欲しい。

今の私は、とても元気で健康だ。

だからこそ、今のうちに、書き綴っておこうと思ったんだ。

もし、就職する時に悩んだり、仕事や家庭がうまくいかないと思った時に、このブログを読んで、お父さんが教えたことを思い出して欲しい。

お父さんの言いつけを守るように書くわけではない。

そして、偉そうに、就職先を指南するという内容ではない。

ただ、仕事や家庭に悩みがあるということは、お父さんが教えてきたことを理解するのにちょうど良いタイミングかもしれないと思う。

今のあなたの状況に合わせて、ここに書いてあることを当てはめで読み進めてみると、あなたが小さい頃から、お父さんが教えたかったことが分かると思う。

お父さんは、常に、あなたの幸せを願っているし、だからこそ、あなたが決めたことを尊重し、応援したいと思っている。

仕事について語ると、とても長くなる。

だから、4回に分けて書こうと思う。(仕事は、なぜするのか?、アルバイトと正社員の違い、会社員は金持ちになれるのか?、やりたいことを仕事にする))

順番に読まなくても良い。

気になるところだけ読めば良い。

なぜなら、今まで、繰り返し教えたことばかりだし、知りたくないことを知らなくても良い。

ただ、お父さんは、未来のあなたが、笑って過ごしていることを願って書いていく。

この文章は、あなたへの愛であふれている。

もし、笑っていないのであれば、一度読んでみて欲しい。

きっと、お父さんのことを思い出せば、あなたは、ふたりで一緒に暮らしていたあの頃のように、笑顔を取り戻せるはずだ。

☆目次☆
1,はじめに
2,仕事はしないといけない?
3.仕事とは?
4,役に立つと言うこととは?
5,仕事はすべきか?

1,仕事はしないといけない?

おそらく、あなたは、このような質問の「仕事」とは、賃金をもらえる「労働」のことを思い浮かべるはずだ。

なら、その答えは、単純だ。

「できるならしなさい。」

日本と言う国で、これからも住んでいくのであれば、労働ができるのであればした方が良い。

病気や体が動かなくなるまで、無理に労働をするのは良く無い。

もし、病気や体が動かなくなったら、遠慮なく休めば良い。

しかし、健康で時間があるのであれば、労働はした方が良い。

困った時に、助け合うのが、社会保障制度だ。

さぼってばかりいて、困った時だけ「助けてください」というのは、都合が良く思える。

だから、無理の無い範囲で、労働はした方が良い。

ここに書いてある「仕事」とは、「労働」のことだけを言うのではない。

「仕事」と「労働」は分けて使っている。

あなたには、覚えておいて欲しいことがある。

「仕事をしたいか、したくないかに関係なく、誰もが仕事をしている。」

と言うことだ。

労働という意味で、会社で働いている人はもちろん、会社で働いていない人(例えば、子供)も仕事をしている。

人は、みんなが仕事をすることによって、生活できているんだ。

逆に、みんなが仕事をしないと、みんなが困ってしまう。

あなたの好きなニンジンは、誰かが仕事をして、家で食べることができる。

そのニンジンを食べる時に使うお箸も、誰かが仕事をして、家で使うことができる。

家にあるほとんどの家具や、食べ物は、誰かが仕事をしているから、家にあるんだ。

みんな、それぞれ、役割があり、その与えられた役割を果たすことが仕事である。

では、会社で働いていない人たちは何をしているのか考えてみよう。

子供が、ごはんを食べて、勉強して、大きく成長するのも、将来のみんなのためになるんだ。

お父さんが、毎日、ごはんを作っているのは、あなたのためだ。

もし、無人島でひとりの力だけで、自給自足をしてひとりで住んでいるのであっても、もし、きれいな花があって、明日もきれいに咲いて欲しいと願い、毎日、お花のためにお水をあげるのであれば、それは仕事と言えるかもしれない。

人間が、社会に住むには、誰もが、仕事をする必要があるのだ。

人間が、ひとりでできることには限界がある。

一対一なら敵わない動物たちも、人間が協力すれば、立ち向かい倒せる。

みんなすぐに忘れてしまうが、人間の最大の強みは、「社会を作れる」ことだ。

人間は、他の生物たちと違って、みんなで協力して社会を作って、みんなで生き残っていく生き物なんだ。

みんなで力を合わせ、生き延びていくことができるのは、人間だけで、仕事ができるのも人間だけが持っている最大の強みなんだ。

みんな忘れているが、仕事をするかしないかの選択肢はなく、誰もが社会を作って生き残るために、本能的に仕事をする。

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3.仕事とは?

では、仕事とは、どういうことなのだろうか?

少し考えてみて欲しい。

労働することだけが仕事だろうか?

お父さんは、「社会の中で、役に立つこと」が、すべて仕事だと思っている。

前の段で、「仕事」=「役割を果たすこと」と伝えたが、社会には、その人それぞれの役割があり、協力して成り立っている。

繰り返すが、人間がひとりでできることには、限界がある。

だから、人は、自分が得意なことで人の役に立ち、不得意なことは、人に任せる。

例えば、道具を作るのが得意な人がいれば、道具を使うのが得意な人もいるということだ。

社会を作る中で、人には、それぞれ役割ができる。

仕事とは、社会の中で、役割を果たし、役に立つことであり、社会単位で、仕事も違ってくる。

一番身近で、小さな社会は、家族だ。

家族の中で、それぞれが得意なことによって役割が違う。

あなたの育った家庭では、あなたができないこと全部が、お父さんの役割であり、お父さんの仕事だ。

逆に、お父さんにできないことは、あなたの仕事だ。

そうやって協力して暮らしてきた。

主なお父さんの役割は、ごはんを作ることだ。

ごはんを作る仕事は、とても大事だ。

お父さんがごはんを作る仕事をしなかったら、あなたは、こんなに健康で元気よく大きくならなかったかもしれないと思うと、お父さんの役割はとても重要だったはずだ。

あなたの仕事も重要だった。

あなたは、笑って、お父さんに元気を与えるのが、仕事だったんだ。

あなたが、笑えば笑うほど、お父さんの役に立ち、お父さんは喜ぶ。

学校に行くこともあなたの仕事だ。

お父さんは、あなたの代わりに学校に行けない。

お父さんの仕事は、ごはんを作ることだし、あなたの仕事は、笑って学校に行くことだ。

どちらも価値が付けられないほど、大事な仕事だ。

仕事をすぐにお金の価値に置き換えようとしたらいけない。

もし、お父さんが、お金のために毎日ごはんを作るのなら、こんなに一生懸命に毎日作らなかったかもしれない。

お金がたくさん余っていたら、きっと休んでいただろう。

お父さんは、あなたのためにごはんを作り、あなたが健康で元気よく大きく成長してくれるから、うれしくて、毎日、一生懸命ごはんを作り続けられたんだ。

だから、作るのが面倒な時もあったが、あなたのためにごはんを作り続けた。

あなたから「お金が欲しい」とは思ったことが無い。

誰からも強制させられた訳でもない。

家事と労働とを一緒に論じる方もおられるが、お父さんとは、「仕事」に対しての考え方が根本的に違うと思う。

家事と労働を一緒に論じている人を非難したいとか、論破したいとかは思わないが、その人たちの意見を聞いていると、気分は良くない。

仕事とは、人の役に立つことであり、労働だけが仕事ではない。

家事と労働を一緒にすると、「私は仕事してるのだから、家事は君がやるべきだ」やら、「労働より家事の方が楽だろ」などと考え、何もしないで良いと思う人もいる。

そのように考える人たちは、「労働している人が一番偉い」と勘違いする。

そんな態度の人と一緒に過ごす人たちが、「ワンオペ」なんていう言葉を使い出し、家事を軽んじる人を非難する。

余談だが、お父さんは、「お前が家事をやるべきだ」なんて誰からも言われたことがない。

だから、「ワンオペ」なんて言葉は、使ったことが無い。

お父さんにとって、「ワンオペ」と言われて避難される人も、言って非難する人も、どちらの方とも「仕事」に対しての考え方が違う。

家事をしない配偶者が、家事をしたく無いのであれば、家事以外の役割を担ってもらえば良い。

無理にやりたくもない家事をさせて配偶者を不幸にさせては、家族を幸せにしたいという本来の願いの本末が転倒してしまう。

何かできるのに、何もしないのは良く無い。

一番最初の「仕事はしなくてはならないか?」の答えと一緒だ。

「やれるならした方が良い」だ。

家族でも、困った時だけ、助けてもらうのは、やはり調子が良すぎると思う。

家族のためにできることは、家族のためにすれば良い。

家族の中に、自分の役割があり、仕事をすると家族が喜んでくれる。

「家事」をすれば、家族は快適に過ごせるし、「労働」をすれば、手に入れた賃金で、欲しい物が手に入る。

どちらも家族の幸せのためにすることで、役に立つことなのだから、「家事」や「労働」に優劣は無い。

どちらも大切な仕事であり、どちらの仕事も、家族にとって、輝くような価値がある。

仕事をすると家族の幸せにつながり、「役に立っている」とうれしくなり、また仕事をしたくなるし、安心して「そこにいて良いんだ」「自分の居場所はここだ」って、心から思えるんだ。

できないことをする必要はない。

無理に家事もしなくて良いし、無理に労働をしなくても良いし、無理に学校に行かなくても良い。

自分ができることをすれば良いのだ。

家族のために自分のために仕事をして、家族が笑顔で快適に過ごせるのであれば、これほど素晴らしい仕事は無いだろう。

その仕事に値段は付かないし、値段を付けると、素晴らしい仕事ではなくなるかもしれない。

私はそう思っている。

仕事をするのも、してもらうのも「当たり前」ではなく、できない人の代わりにすることだ。

誰が仕事をするかは、家族の中で、話し合って決めれば良い。

人間は、「言葉」が使える。

何をするか、与えられた言葉で、みんなで話し合って決めれば良い。

仕事を任された人は、家族のために胸を張って、仕事をすれば良い。

そして、あなたが、家族から仕事をしてもらったのであれば、できないことをしてもらうのだから、その「仕事」には、敬意を払うべきだ。

今年、小学1年生になったあなたに、「学校に行く」ことが仕事の1つになった。

お父さんが、代わりに小学校に行くことはできない。

あなたにしかできない仕事だ。

だから、お父さんは、毎日、ニコニコとケガもなく学校から帰ってくるあなたに、「楽しく学校に行ってくれて、ありがとう」と伝える。

あなたの素晴らしい仕事に敬意を払っているんだ。

学校に行くのを「当たり前」とは思っていない。

学校に行きたくても行けない人は、たくさんいるんだ。

どんな仕事にも敬意を払い合えば、仕事は、輝くほど価値が高くなるだろう。

もし、給料が他人よりも少ないとしても「家族のための労働」は、輝く価値があるし、賃金は無いが「家族のための家事」は、輝く価値があるし、「ニコニコ学校に通う」のも輝く価値のある仕事だ。

その仕事を輝く価値にするのも、無価値にするのも、他人ではなく、一緒にいる家族だ。

輝くほど高められた価値のある仕事は、お金にならなくても、「やりたい」と思うものだ。

敬意が無いと「ワンオペ」なんて言う言葉が、家族から生まれる。

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4,役に立つと言うこととは?

さて、話が少しそれたが、そもそも「人の役に立つ」と言うのはどういうことか?

今、あなたが「お手伝いするー!」って寄って来るが、お父さんは、「今はいいや😅」と言うと、あなたは「やりたい😠」ってゴネますね。

そんな時に、私が、あなたに伝えていたことを覚えていますか?

それは、

「お手伝いは、お父さんのためにして欲しい。お父さんがして欲しく無いのに「やりたい」って言うのはお手伝いでは無いよ。全然、お父さんうれしくない。」

「何て、父親だ!」って冷たく思うかもしれませんが、あなたはこのような教えで育ってきました。

もちろん、お父さんと一緒に色んなことを経験することは、良い学びになるでしょう。

だから、これからも、あなたが大人になるまで、一緒に色んな経験をしていきたいと思っている。

そういった「経験」と「お手伝い」は、小さな頃から分けてあなたに教えてきました。

あなたがお手伝いをして、お父さんが助かった時は、「ありがとう。お父さんはとても助かったよ。」と伝えると、あなたは、喜んで、また同じことをしてくれました。

お父さんは、お手伝いをしてくれたあなたを褒めないようにしてました。

褒められるためにする仕事は、自分のためにするからだ。

褒められるから、お手伝いをするのではなく、人の役に立つことに喜びを感じて、仕事をして欲しいと思っている。

だから、お手伝いをして、お父さんが、助かった時には、「えらいね」ではなく、「ありがとう」と感謝を伝えるようにしていた。

役に立つということは、喜びになる。

社会で、役に立っていると思えば、そこに居場所ができる。

それが、家族でも学校でも、会社でも同じことだ。

社会の中で、仕事をして、人の役に立ち、自分の居場所を見つける。

人のため、自分のためにするのが、仕事だ。

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5,仕事はすべきか?

こんなことを思ったことは無いだろうか?

「労働をするのは大変で、嫌なことだ」

それは、多くの大人たちが、会社でやりがいも無く働いているからかもしれない。

労働をして、人の役に立つと、自分の居場所ができる。

みんな、それぞれに居場所を確保している。

自分のいる居場所が、心地良く無いと「仕事をするのは大変で、嫌なことだ」と思うかもしれない。

自分の居場所を快適なものにしたければ、どんな仕事にも敬意を払えば良い。

誰かがしてくれた仕事に敬意を払えば、自分が、仕事をして、人の役に立った時にも、敬意を払ってくれるようになるだろう。

労働のような見返りのある仕事だけに敬意を払うだけでは足りない。

見返りの無い仕事に敬意を払うことができれば、あなたのいる場所は、より快適になる。

「お金にならないことは、無駄だ」などと思っていると、あなたのいる場所は、無味乾燥で孤独な場所になるだろう。

無味乾燥で孤独に、「自分はひとりで生きている」なんて思っていると、自分の思い通りにならない時、イライラしたり、するだろう。

世の中にはたくさんの仕事で成り立っていて、みんなで協力して生きている。

それは、分かっていたとしても、すべての仕事に気付き、敬意を払い続けるのは難しいと思う。

しかし、できるだけ多くの仕事があることに気付き、敬意を払うよう心掛ければ、きっと笑って過ごせる居場所を作ることができる。

生まれたばかりの赤ちゃんの仕事は、笑って泣くことだけだ。

赤ちゃんが笑った時に、赤ちゃんは仕事をしたのだから、赤ちゃんに「笑顔をくれてありがとう」と敬意を払えるような人になって欲しい。

その赤ちゃんが自分の産んだ赤ちゃんであれば、きっと幸せな家庭になると確信している。

あなたのお母さんが、そういう人だった。

お父さんは、お母さんと一緒に暮らすまでは、仕事と労働を一緒に考えるタイプの人間だった。

お母さんは、お父さんのする仕事に敬意を払ってくれた。

毎日、家に帰ると、私の目を見て「お疲れ様でした。」と言ってくれた。

毎週末になると、「一週間お疲れ様でした。」と言ってくれた。

給料日は、必ず「いつもありがとう。」と言ってくれた。

だから、私も、お母さんの仕事に敬意を払うようになった。

「いつも、ごはんを作ってくれてありがとう。」

「いつも、家を守ってくれてありがとう。」

「娘を産んでくれて、ありがとう。」

お互いの仕事に敬意を払えば、そこは幸せな空間になるんだ。

仕事があるのは、とても幸せなことだ。

だから、どんな仕事でも良いから、まずは一生懸命やってみて欲しい。

人の仕事に敬意を払いながら、あなたにどんな役割があって、何に役に立っているのか感じて、仕事をしてみて欲しい。

きっと、仕事に「やりがい」を見つけられると思う。

それだけで、仕事は楽しくなり、やりたくなる。

お母さんと一緒に暮らすようになり、会社に行くのが楽しくなった。

特に仕事内容が変わってはいないし、給料も変わっていない。

みんなの仕事に敬意を払い、自分の仕事に誇りを持つことができるようになっただけだ。

若い頃のように、出世や給料を上げようとは思わなくなった。

みんなのために、一生懸命に働くだけで楽しいし、やりがいもある。

お母さんがいなくなり、ひとりで家事をしなければならなくなったが、楽しくできている。

誰かに手伝って欲しいとも思わない。

私の仕事だ。

もし、ここまで読んで、「分かっている。いつもやってる」と思ったのであれば、それで間違っていないから続けて欲しい。

お父さんの目には、あなたの未来は、輝くようにまぶしく、幸せに満ちているように見える。

お父さんとお母さんは、いつもあなたの近くで見守っている。

疲れたら、たまにはお父さんのブログを読んで、お父さんとお母さんのことを思い出して欲しい。

あなたへの愛であふれているはずだ。

お父さんとお母さんと話ができなくても、愛は届けられる。

お父さんとお母さんの今できる仕事は、あなたに愛を届けることだけだ。

天国に行っても仕事はあるんだ。

お父さんとお母さんの届ける愛が、あなたの役に立っていたらうれしい。

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