【死別シングルファザーあるある】亡くなった妻への供養は、何をしている?

幸せになるヒント
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どーも気ままお父さんです!

7年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に10歳娘を1人で育てている50歳のシングルファザーです。

今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊

どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?

このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。

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【死別シングルファザーあるある】亡くなった妻への供養は、何をしている?

妻と死別して、今年で7年が経った。

妻が亡くなってから、僕の生活習慣に変化があった。

亡くなった妻への供養が、生活習慣の中に、入ってきたのだ。

今日は、僕が、亡くなった妻に、どのような供養をしているか書いてみたいと思う。

供養って、何をしたら良いのだろう?

供養って、こんな感じで良いのかな?

と、迷っている人もいると思う。

供養の仕方は、人それぞれなので、僕の供養の仕方が、正しいという訳ではない。

この記事を読んで、無理の無い範囲で、それぞれの供養の仕方を見つけるヒントになればうれしい。

結論から言うと、僕が妻のためにしている供養は、「読経」と「お墓参り」の二つだ。

古典的な供養だが、想いがあって、習慣になっていった。

どのように供養を始めたか、綴っていきたいと思う。

いきなりだが、僕の家は、曹洞宗という仏教だ。

僕が行っている供養と関係があるので、読み進めて欲しい。

僕は、妻が、生きている時は、宗派なんて気にしたことも無かった。

妻の葬儀を執り行っていただく葬儀屋の担当者さんとの最初の打ち合わせで「宗派は何ですか?」と聞かれた。

特に信仰している宗派はないと答えたが、「お坊さんを呼ばないといけないので、何か一つ選んでください。」と言われ、困惑したが、葬儀屋の人に、「ご実家の宗派に合わせてはいかがでしたか?」とアドバイスされた。

宗派により、読み上げるお経が違うから、葬儀の時に、聞いたことも無いお経を読み上げてもらうより、子供の頃から聞き馴染みのあるお経の方が良いのでは?ということで、実家の宗派に合わせたらどうかということだ。

なるほど!

という訳で、その時から、僕は、宗派を気にするようになったんだ。

後々、分かることだが、これから、いくつかの「仏縁」に恵まれることになる。

その最初の仏縁が、宗派を担当者さんに聞かれた時に、生まれた。

それから、担当者さんに、曹洞宗とはどのような宗教なのか、色々と聞いた。

仏事は、どのようにしたら良いか?

仏壇は、どうしたら良いか?

お墓は、どうしたら良いか?

などだ。

僕は、妻と一緒にいたかったから、仏壇を置いて、そこに妻を祀ろうかと考えていた。

何の知識も無かった僕は、ネットで、仏壇を買えば良いと思っていた。

担当者さんに、「仏壇は、きちんとお迎えしないといけないですよ」とたしなめられました😅

担当者さんは、何も知らない僕に、仏壇の迎え方を優しく丁寧に教えてくれました。

担当者さん「仏壇を置くということは、仏様を迎えることになります。きちんと仏具を揃えて、きちんと魂を入れてもらいます。魂は、お坊さんが入れてくださるので、葬儀のお坊さんに相談されると良いですよ。」

とのこと。

それから、お墓のことなども、色々と相談に乗っていただきました。

無事に葬儀を終えて、教えていただいた通りに、仏壇を迎い入れた。

仏壇には、花を供え、毎日、水を取り替える。

妻の遺影の前にも、花を供えるようにしている。

バラなどは、棘があり、仏様が嫌うなんて言われてますが、あまり細かいことは気にせずに、妻が好きそうな色のきれいな花を供えるようにしている。

造花は、面倒がなく良いが、生花を買ってきて、供えている。

お花屋さんとも仲良くなった😊

毎日、毎日、水を取り替え、仏様に手を合わせ、お経を読み上げ、妻にも声を掛ける。

今も、続いている習慣だ。

妻がいなくなり、家には、仏様がいて、生花がある生活

お経は、般若心経というお経を読み上げている。(曹洞宗のお経)

最初は、経本を片手に読み上げていたが、一ヶ月ほどで暗唱できた。

2才だった娘も隣に座らせていたので、娘も般若心経を暗唱できる。

娘は、般若心経を口ずさむ園児だった😅

保育園の先生は、娘が何を口ずさんでいるのか分からなかったと思う😅

まさか、2才児が、般若心経を口ずさむとは思ないよね😅

今は、仏壇には、それぞれのタイミングで手を合わせている。

それが、妻への一つ目の供養。

もう一つは、お墓参り。

お墓は、実家にもあるが、家の近くの公営墓地に申し込み、建てた。

今から、お墓を建てるなんて、時代には、逆行していると思ったが、妻のために何かやってあげたかったんだ。

毎月、月命日近くになったら、お花と、妻が好きだったビールを持って、お墓参りに行っている。

花を取り替え、燃え尽きた線香とろうそくを取り除き、少しお墓を磨く。

妻が亡くなって7年経ったんで、もう80回はお墓参りしたことになるな。

毎月、通って、近況を伝えている。

今は、娘も一緒に連れて行っているが、もう少ししたら、行くか行かないかは、選んでもらおうと思っている。

供養って、強制してやらせるもんでもないからね。

僕は、妻が亡くなり、仏縁により、お仏壇と、お墓を祀って、毎日、毎月、妻のために、供養をするようになった。

僕は、決して、信仰深いタイプではない。

でも、少し、仏教の教えに触れ、実践し、僕の人生は、豊かになったと感じる。

家は、お寺みたいな匂いがするけど、仏壇がいて、花のはる生活は、気に入っている。

僕は、できる範囲で、妻のために、供養を続けていきたいと思う。

妻は、今でも、僕の心の中で生きている。

毎日、供養することで、色あせることもない。

僕は、故人を思い出すことが、最大の供養だと思う。

僕は、僕なりに、毎日、妻を思い出す。

そういうと、いつまでも妻に執着しているように聞こえるかもしれない。

たしかに、妻の死を受け入れるまで、時間がかかったと思う。

僕は、2年ぐらいかかったかな

その時は、心が、しんどかったけど、今は、少し違う。

今は、無理をしていないし、強がってもいない、むしろ、心は、穏やかだ。

僕が、供養を続けているのは、妻に良くしてもらったからだ。

妻への恩返しだと思っている。

妻が生きていた時にもらった大事なものがいくつかある。

妻は、僕のために、尽くしてくれたし、僕も、妻のために尽くして暮らしていた。

お互いに愛し合い、恥ずかしいが、毎日、愛を伝え合う仲良し夫婦だったんだ。

妻は、僕をすべて受け入れてくれていた。

ここに居ても良いんだって、思わせてくれたんだ。

妻との結婚生活は、すごく幸せな時間をもらった。

その時、妻からもらった幸せな愛は、今も僕の宝物だ。

僕が、今、幸せな人生を歩めているのは、その宝物のおかげで、間違いなく妻がくれたものだ。

僕が、生きている限り、妻に恩返しをしていきたいと思っている。

それが、僕は、供養という形で、恩返しをしている。

娘を連れて、お墓参りに行けば、妻の天国の友達に、「毎月、来てくれるのよ」って、ちょっと自慢できるんじゃないかなってね。

何回も言うが、僕は、供養で一番大事なのは、「故人を思い出す」ことだと思う。

みんなは、みんなの方法で、大切な人を思い出してもらえば、それが、一番の供養になるんじゃないかな。

人と比べるものでは無いし、誰に何と言われていいし、そもそも、他人に伝える必要もない。

大切な人の写真に「おはよう」「行って来ます」の挨拶するだけでも、十分良い供養になる。

供養を続けると、いつまでも忘れられずに、辛いのではないか?って心配するかもしれないが、逆だ。

供養しようが、しまいが、大切な人を忘れられる訳がない。

無理に忘れようとするのではなく、穏やかに心の中で受け入れてしまう。

いつも思い出し、心の中にいてもらう。

だから、心は、温かくて穏やかだ。

僕は、供養を続けることにより、うまく死別を受け入れられたんじゃないかと思う。

毎日毎日、花に水を替え、お経を読み上げ、写真に声を掛ける。

妻は、僕の心の中で生きているんだって思えるんだ。

毎日やっていれば、実際にいなくても、そばにいる感覚が生まれてくる。

そう思えるようになれば、死別をうまく受け入れられたことになる。

僕は、そうだった。

妻は、50才を迎えずに、この世を去ったが、僕が、生きている限り、思い出される。

僕が、あの世に行って、こんなに毎日、思い出してくれる人がいるだろうか?

少しの間は、娘たちも、思い出してくれるかもしれないが、毎日とはいかないだろう。

そう思うと、この世にいなくても、思い出してもらうのが、一番の供養になると思える。

供養の仕方は、人それぞれ。

形にこだわるのではなく、心が大事だと思う。

あなたなら、大切な人が、何をしたら喜ぶか分かるはず。

大切な人が、喜ぶことをしてあげよう。

参考になればうれしい。

最後まで読んでくれてありがとう。