
どーも気ままお父さんです!
7年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に9歳娘を1人で育てている49歳のシングルファザーです。
今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊
どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?
このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。
何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊
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私には、富山県に住む、母方のおじいちゃんとおばあちゃんがいました。
私は、おじいちゃんもおばあちゃんも大好きで、夏休みなどに富山に行くのが、とても楽しみでした。
先月、そのおばあちゃんが、亡くなりました。
おじいちゃんは、61才で亡くなっています。
おじいちゃんが亡くなったのは、今から約40年ほど前で、まだ、私は、小学生低学年でした。
その当時、おばあちゃんとおじいちゃんが、仲が良かったかどうか分からないです。
昔の夫婦はそんなものなのかもしれないですが、楽しそうに会話をしていた記憶はありません。
ただ、初孫だった私を、おじいちゃんもおばあちゃんもとても可愛がってくれたのはすごく覚えています。
田舎に立つ家は、いわゆる「ザ・日本家屋」で、今はリフォームされていますが、私が子供の頃は、掘りごたつもありました。
玄関は、引き違いの扉で、開けると「ガラガラ~」と鳴り、名古屋から会いに行くと、玄関の音で到着が分かります。
玄関をガラガラ鳴らしながら開けると、おじいちゃんもおばあちゃんも「遠いところ、よお来たなぁ」と満面の笑みで出迎えてくれた。
おじいちゃんは、私が来ると、仕事から帰ってくるたびに、おもちゃを買って帰ってきてくれました。
母親は、「甘やかさないでよ!」と怒っていたようですが、、😅私は、そんなことも知らずにとても喜んでいたようです。
ただ、母親は真剣で、母親が怒っていたのを、今も親戚のみんなが覚えているぐらいですから、よほど怒っていたのでしょう。
それでも、おじいちゃんから、「内緒だよ」と、こっそりとおもちゃをもらっていたほどの溺愛ぶりでした。
そんなおじいちゃんは、61才の時に、おばあちゃんに、看取られお空に行ってしまいました。
おじいちゃんは、お酒が好きで、毎日たくさんの量のお酒を飲んでいたので、みんな、おじいちゃんが早逝したのには、「飲み過ぎだから仕方ない。。」と、妙に納得してた。
お葬式の時は、大好きなおじいちゃんが亡くなり、寂しい気持ちがあって、私は、おばあちゃんがどのような様子だったかのかはっきりとは覚えていないです。
ただ、おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってから、毎朝、大きなお仏壇に向かって、経本を持って長々とお経を読み上げるようになりました。
おばあちゃんは、おじいちゃんが病気になってから、看病でお世話して、亡くなってからもおじいちゃんのためにお仏壇に手を合わせている背中を見て、とても愛がある優しい風景だなって思ってました。
そんなおばあちゃんが、2024年3月、97才でお空に行きました。
棺の上には、見覚えのあるおばあちゃんの経本が置かれていました。
「棺の中に一緒に入れてあげようと思って」と一緒に住んでいた私のおじさんが入れたのですが、元気なうちは、毎朝、ずっと読経を続けていたようです。
久しぶりに見たおばあちゃんの経本は、ボロボロだったが、40年前から見ていた、見覚えのある懐かしい経本でした。
おじさんは、「初めは経本を持って読んでいたが、ボロボロになる頃には覚えていたけどなぁ」と言いました。
東本願寺のお経なのですが、暗記するまで、40年もの間、読み上げたんだと思うと、おじいちゃんへの愛情の気持ちは計り知れないものがあります。
私は、妻を看取って初めて、おじいちゃんを早くに亡くしたおばあちゃんの気持ちを、分かってあげられました。
私も、妻のために毎朝、読経してます。
なぜそのような気持ちになるかも、妻を亡くし、ようやく理解ができました。
おばあちゃんとそんな話をしたかったんですが、晩年は、認知症を患いできませんでした。
私は、信心深いわけではありません。
読経を始めたのも、続けているのも、妻のためであり、おばあちゃんを見習ってのことです。
妻が亡くなってから、小さなお仏壇も買いました。
毎朝、妻のためにお経を読み、お経を読むたびに、おばあちゃんが手を合わせていた姿を思い出します。
そんな大好きだったおばあちゃんも、亡くなってしまいました。
私は、おじいちゃんもおばあちゃんも大好きで育ちました。
お盆と正月に母親が帰省するたびに連れられて行き、帰りは、寂しくて、しくしく泣きながら帰ったのを思い出します。
おばあちゃんのお葬式に参列するために、おばあちゃんの家の玄関を久しぶりに開けました。
ガラガラと音が鳴ります。
今でも、居間の方から、おばあちゃんの声が聞こえてくるようです。
私は、おじいちゃんとおばあちゃんからたくさんの思い出をもらってすごく幸せ者だと思っています。
私は、大好きなおじいちゃんとおばあちゃんのように、素敵に年を取れたらいいなって思っています。
今頃、おばあちゃんは、おじいちゃんに会えているかな?
やっと会えて、何か話すのかな?
きっと、元気だった頃のように、何も話さなくても、分かり合えるのかもしれません。
供養は、亡くなったお世話になった人のためにするものだと思っていました。
しかし、妻が亡くなり、供養をしてみて、少し違うんだなって知りました。
供養は、亡くなって辛く寂しい想いをしている自分が、自分のためにするものなんだなって思います。
妻の死を何かのせいにして、恨んでいたら、いつまでも死別を受け入れられず、とても辛い気持ちでいたかもしれません。
妻のため、自分のために、できる供養を続けることで、死別を受け入れることができたのだと思います。
私は、おじいちゃんとおばあちゃんから、大切なことを教えてもらいました。
死別は、受け入れることができましたが、これからも、おばあちゃんを見習い妻の供養をして、過ごしていきたいと思っています。
また会える日を信じて。