
どーも気ままお父さんです!
7年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に9歳娘を1人で育てている49歳のシングルファザーです。
今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊
どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?
このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。
何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊
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【人生の楽しみ】
皆様は、楽しみがあるでしょうか?
あるのなら、何をするのが楽しみでしょうか?
私は、お金の勉強をして、資産運用を始めて、改めて疑問に思ったことがあります。
「お金って何だろう?」
物やサービスに交換できる物って言うのは分かるんですが、ただ、それだけで、お金だけでは、何も価値がない。
それを考えた時に、お金にあまりに執着してきたなぁって思うんです。
皆さんは、どうでしょうか?
多くの時間を費やし、一所懸命に働き、その労殿対価で、お金をいただく。
しかも、働く時間は一緒なのに、人によっていただけるお金の量が違う。
いただいたお金は、生活費に使い、余ったお金は、将来のために貯金する。
そして、多くの方は、貯金し過ぎて、余して天国に行かれるのです。
50才を手前にして、何か、急に、人生って何だろうって、儚く思えてきたんです。
労働って。
お金って。
毎日、8時間も働く。
睡眠時間を除けば、ほとんどが、労働しているのです。
人生、人のために働いて、立派に社会貢献する。
理屈は分かるのですが、会社員では、なかなか実感できないんですよね。
妻が亡くなり、がむしゃらにここまで何も考えずに働いて来ましたが、ふと、立ち止まって考えてしまいました。
老後なんて、まだまだ20年以上も先で、今から、心配して、貯金ばかりしなくても良いんじゃないか?
毎日、今日、食べる分の金銭だけを稼いで、その日暮らしをしていく。
そんな暮らしも「有り」なんじゃないかなってね。
必要な分の労働時間を働き、必要な分だけ稼いだ小銭をポケットに入れて、近くのソバ屋さんに食べに行けれれば、それで良いのでは無いか?
余った時間は、楽しみに使う。
私の楽しみは、ただ、好きな人と、花を見て、思い出の写真を撮れればそれで良いのです。
わざわざ、遠くの名所できれいに咲いているお花を見に行かなくても良いんです。
毎年、同じ、近所のお花が良いんです。
大切な人と。
「今年もきれいに咲いたね。また来年も見に来ようね。」
もう、天国にいる妻とは叶えることのできないことですが、毎年、妻と通った近くのお花畑に娘と通うのが、私の楽しみなんです。
春が訪れて、梅、桜、藤など、これから、どんどん、花が咲き、散っていきます。
同じ場所でも、毎年、違った花を咲かせるんです。
「今年は、見事だな」
とか
「ちょっとあれだなぁ」
とか
専門家でも無いのに、知った風なことを言い合いながら、花を眺めるのが好きなんです。
ただ、自然に咲く花。
暖かくなったという理由だけで、一斉に咲き、儚く散っていきます。
そこには、自然に任せた営みがあるだけで、今できることを一所懸命にしているだけです。
私は、来月50才になる節目です。
人生、残り半分と言われる年齢。
先日、桜をバックに撮った娘の写真をぼんやり眺めていたら、急に儚い気持ちになり、あまり先のことを考え過ぎず、今を楽しまなくちゃって、改めて思い、私は、残りの人生で何をして過ごしたいのか、ちょっと、考えてみたくなった次第です。
まだ、子育てがあるので、脱サラは勇気が要りますが、自分で、何か商売を始めてみるのも良いかなって思ってます。
別に儲からなくても良いではないか?
今日、食べられる分だけ稼ぐことができれば、それだけで十分なのではないか?
あまり失敗を恐れなくても良いのでは?
一所懸命に咲く花を見ていたら、そんな気持ちにもなりました。
今の会社は、とても安定していて、定年までクビになる心配もありません。
少しですが、裕福な暮らしもできています。
ただ、これから、会社で1日8時間を費やして、人生を一所懸命満喫できていると言えるのか?
それが、私の人生のやりたいことなのか?
この安定を捨てるのは、とても勇気が要ります。
今、写真を見ながら、自問自答しています。
毎日、バタバタと過ごすのではなく、娘と寄り添って、ゆっくり素朴に暮らしていくことを望んでいるのかもしれません。
誕生日まであと1ヶ月。
色々と整理して、残りの人生について、じっくりと自分に向き合い、考えてみたいと思います。
