
どーも気ままお父さんです!
ブログに興味を持っていただきありがとうございます😊
私は、最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に6歳娘を1人で育てている死別シングルファザーです。
天国の妻への手紙や未来の娘に宛てた日記、死別、生活の質に関することを書いてます。
皆様のお役に立てれば幸いです😊
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3年前に、妻がガンで亡くなりました。
闘病生活は、8月から2月までの約半年間でした。
突然のお別れではなかったので、伝えたいことや妻の希望などは、ある程度は聞いてあげることができたと思っています。
それでも、後悔は残るものです。
今でも毎日、「もっとあんなことしてあげたら良かったな」「一緒にやりたかったな」と思うのです。
この記事は、妻を亡くした私が、大好きだった妻にもっとしてあげたかったことをまとめています。
この記事が、大切な人との時間を過ごす、きっかけになればうれしいです。
目次
1、はじめに
2、一緒に子育て
3、旅行
4、おしゃべり
5、ガンの早期発見
6、もっと残せば良かったもの
7、おわりに
いつも頭に浮かぶのが、「一緒に子育てしたかったな」です。
ひとりでの子育てが大変だから、そう思うのではないです。
ありきたりですが、私たちは、子育てを一緒にしたくて夫婦になったのです。
お付き合いしている頃から、まだいない子供の話や、子育ての話を良くしていました。
男の子でも女の子でも2人で子供を育てることがあるなら、「この名前にしようね。」と言って、名前まで決めておりました。
夢は、現実となり、結婚し、今、一緒に住んでいる娘が誕生しました。
妊娠が分かって男の子か女の子かまだ分からない時に、決めていた名前をつけて、私は、妻のお腹に名前を呼びかけ、生れてくるのを待ちに待ってました。
妻は、高齢出産でしたが、無事に生まれ、一緒に幸せに子育てを満喫していました。
妻の病気が発覚したのは、娘が2才になったばかりの頃です。
まだまだ言葉もあやふやで、ようやくちょっとコミュニケーションが取れるようになった時期で、親からすれば、何をやらかしても、とても可愛い盛りの時です。
そんな幸せの絶頂に、私たち夫婦は、妻の未来は、長くないことを告げられました。
闘病生活は、半年間。
妻は、段々と力も弱り、最後は、娘を抱っこすることもできなくなっていました。
可愛い娘とお別れをしなくてはいけないと覚悟して過ごすのは、筆舌に尽くしがたい苦しみがあったと思います。
また、妻は、母親として、妻としての責任感が強く、最初は、毎日のように、私に「申し訳ない」と、言ってました。
「一緒に、子育てしたいと結婚したのに、家事も育児も任せきりで申し訳ない。」
「これからのことを思うと、1人で子育てをさせることになり申し訳ない。」
妻も、最後は、自分の生きている価値が分かり、ほとんどの言葉が感謝に変わっていました。
「あなたが娘を育ててくれるから安心だ。ありがとう。」
妻は、私に、娘の未来をゆだねることしかできませんでした。
娘が生れて、2年半でしたが、妻と一緒に子育てができたことは、すごく楽しかったですし、良い思い出もいっぱいあります。
娘には、母親の記憶は、ほとんどありません。
でも、母親を忘れた日は一度もありません。
もし、神さまが一つだけ願いを叶えてくれるなら、私は迷いなく「妻と子育てがしたい」とお願いします。
妻との共通の趣味は、旅行でした。
忙しい毎日で、非日常を味わえる旅行は、私たちの楽しみでした。
妻と、もっとたくさん旅行をしたかったと後悔が残っています。
節約して、旅行は、1年に1回だけと決めていました。
本当にお金が無かったのであれば後悔は残っていないですが、旅行に行かなかった理由が節約だったのです。
なので、もっとお金を出せる範囲を広くして、1年に2回、3回と連れて行ってあげたかったと後悔が残っているのです。
病気が、発覚してから6ヶ月の闘病生活を経て、妻はゆっくりと息を引き取りました。
その間に、体調の良い日を選んで、旅行にも2回ほど行きました。
楽しく、素敵な思い出が残る旅行ができて良かったのですが、旅行には制限がありました。
妻は、気分がいつ悪くなるか分からないので、遠出はできませんし、長く歩くこともできないので、目的地はどうしても制限されてしまいました。
行きたい所に行ける訳では無かったのです。
病気になり、体調が悪くなってから、旅行などに行こうと思っても、好きな場所には行けないです。
家族で行きたい場所があれば、後回しにせずに、体が元気なうちに、行っておいた方が良いです。
こんなこと言ったら妻に「もっと楽しんで」と怒られるかもしれませんが、私は、妻がいないこの世界で、行きたい場所は無くなってしまいました。
元気に前向きに生きているように見えて、妻がいなくなった喪失感は、こういったところで顔を出すのです。
しかし、私が、行きたい所が無い分、娘の行きたい場所には、たくさん連れて行ってあげたいと思っています。
2人で、娘が行きたい所に出掛けて、たくさん思い出を作りたいです。
早く外出が自由にしたいので、「早くコロナが収まれ」と願って過ごしています。
皆さんは、自由に外出ができるようになったら、誰とどこに行きたいですか?
家にいて、そんなことを考え過ごすのも悪くありません。
「妻だったら、どこ行きたいって言うかなぁ」
私は、たまにそんなことを思いながら、妻と巡った地を訪れてみようかなって思ってます。
妻とは、お付き合いしている時から、息を引き取る最後の最後まで、たくさんおしゃべりをしました。
色んな話をしていたのですが、今でももっとおしゃべりをしたいと思っています。
寂しさもあるかもしれません。
しかし、寂しいからと言っても、誰でも良いと言う訳ではないのです。
やっぱり妻とおしゃべりがしたいのです。
子育ての話や、家のことの相談をしたいのもありますが、ただただ、妻と何でもないおしゃべりがしたいのです。
いつでも、いつまでも妻とおしゃべりができると思って何年も過ごしてしまいました。
中身のない会話でしたが、妻とのおしゃべりは、私にとっては生きていて楽しい時間だったのです。
妻が亡くなり、最初は、寂しかったり、家のことで分からないことを聞きたいと思っていましたが、生活が落ち着いてくると、改めて、何気ない会話が貴重な時間だったと気付きます。
妻と一緒に過ごせる時間は、もう戻ってきません。
毎日、妻の写真に声を掛けますが、妻の気持ちを感じることはできても、生の声を聞くことはできないのです。
妻を亡くして、今、改めて思うことは、「目の前の人との会話を大事にしたい」と思っています。
仕事場でも家庭でも、会話が少なくなっている気がします。
スマホや、パソコン、テレビの画面から目を離して、目の前にいる方とのできるだけ話し掛けて、会話をしたいと思い過ごしています。
↓デジタルデトックスについての記事を書いています。
そんな想いで育てたせいか、女の子はそんなもんなのか分かりませんが、娘は、口が閉じることなくずっと話続けています。
まぁ、良くしゃべります。
疲れている時は、正直言うと、うんざりする時もあるのですが、妻は、娘とおしゃべりがしたくてもできないのです。
妻が、私に「会話を大事にしようね」って教えてくれたので、とことん娘とおしゃべりを楽しみたいと思います。
この記事が、大切な方との会話が増えるきっかけになれば、うれしいです😊
妻のガンの発見は遅れて、見つかった時は、いわゆる末期の状態でした。
ガンが見つかった時点で、死を覚悟するような状況でした。
ガンの発見後は、一緒に半年の闘病生活をして、静かに息を引き取りました。
我々には、死を覚悟してから、半年の時間があったので、不慮の事故に比べれば、有難かったのですが、できればもっと一緒にいたかったのが、本音です。
妻の体の異変は、ガンの発見の半年前からありました。
いつも元気な妻が「腰がいたい」「ちょっとしんどい」とたまに言うようになったのです。
娘は、1才半で、「抱っこ、抱っこ」の毎日だったので、腰が痛くなる原因もありましたし、子育てと家事を目いっぱいしてくれていたので、たまに「疲れる」こともあるだろうと2人で思ってしまったのです。
あまりに腰が痛いと言うので、整形外科に行きましたが異常は無く、しんどさは、少し寝れば回復したので、そのまま様子を見てしまいました。
それから3ヶ月経っても、腰の痛みは回復せず、「ちょっとしんどい」と臥せる回数も増え、臥せる時間も長くなりました。
私たち夫婦は、介護の仕事をしていたので、多くの病気の方に接してきました。
それで、この時にようやく「ひょっとしてガンではないか?」と、嫌な予感を感じたのです。
近くの医者では何も分からず、大学病院に行かせることにしました。
「紹介状が無いと、5,000円掛かるから、近くの別の医者に行く」と言いましたが、私は「嫌な予感」しかなく、「お金が掛かっても良い、頼むから1日でも早く大きい病院に行って精密検査をしてきて欲しい」と伝え、次の日にすぐに大学病院に行ってもらいました。
大学病院のガン検査でも、ガンはなかなか見つからず、先生も首を傾げます。
さらに詳しい検査をして、ようやく分かったのが、「メラノーマ」でした。
大学病院でも、病気が分かるまで、1か月半の精密検査を要したので、近くの医者では分からないはずです。
体の異変があってから、メラノーマが分かるまで、半年掛かってしまいました。
近くの大きい病院では、「様子を見てみましょう」だったので、すぐに大学病院に行かせたのは正解で、発見はそれでも早い方だったのかもしれません。
それでも、妻には言えなかったですが、ガンの発見があと半年早ければ、何かが変わっていたかもしれないと思うのです。
長年、妻は、自炊派で、外食もせず、早寝早起きを心がけており、とても健康的でした。
私は、過去には喫煙歴もあり、毎晩お酒も飲み、結婚するまでは外食も多かったので、私たち夫婦は、私が病気になることがあっても、妻が病気になるとは、全く予想もしていませんでした。
その油断が、ガンの発見をやや遅らせたのだと思っています。
私と妻の「残された時間は半年」でした。
「1年後に妻はいない」と思って過ごした「半年」は、私の人生でかけがえのない時間です。
その時間は、とても充実していましたし、妻と過ごすとても幸せな時間でした。
それでも、「もう少し長く妻といたかった」と思うのが本音です。
今さら、妻に対しては、どうすることもできないですが、こうして誰かに伝えたいと思って文字を綴っています。
大切な家族のために、もし、体に異変を感じたら、すぐに病院に行って欲しいと思います。
「自分は大丈夫。様子見よう。」と思わないで欲しいのです。
自分のためだけでなく、家族のためでもあるのです。
私が、今、できることはこうして伝え続けて、隣にいる大切な家族と一緒にいる時間が少しでも伸びれば良いなと願っています。
妻の動画です。
特に、娘宛てのメッセージをたくさん撮ってあげれば良かったと思っています。
妻の娘へのメッセージ動画は、撮っていないです。
死を覚悟していたとは言え、「治る」と思って前向きな闘病していたので、「死んだあとのメッセージ」を残すことにやや抵抗があったのです。
なので、私が、妻の想いを聴き、伝えていく選択をしました。
それはそれで、私たちらしいのですが、娘は母親と過ごした記憶がほとんどありません。
私がいくら娘に「お母さんは、あなたのこととても愛していたんだよ」って伝えても、あまり実感が湧かないと思うのです。
また、女の子なので、人生の選択をする時のアドバイスなど生の声を残してあげれば良かったと今さらながらに後悔しています。
高校受験、大学受験、成人、社会人、恋愛、結婚、私の死について、妻の考えを、ビデオレターで残して節目、節目で娘に見てもらえば良かったと思います。
手紙を書いてもらう予定で、ノートと鉛筆を用意しましたが、なかなか筆が進んでいませんでした。
病気の辛さや痛みが強く、それどころでも無かったのです。
なので、調子の良い時に、カメラを回してあげれば良かったと思っています。
闘病中は、どんどん痩せていき、カメラに映るのも嫌がったかもしれませんが、お願いぐらいすれば良かったかなと思います。
残したい物があれば、気力と体力のあるうちに残しておいて欲しいと思います。
どんな言葉でも、きっと、遺された家族にとっては、励みになる言葉になると思います。
今、私は、娘と幸せに充実して過ごしています。
過去は、振り返らずに前を向いて暮らすように心がけています。
それでも、妻の死から、時間が経つにつれて、思い返すと後悔も少なからずあります。
ただ、後悔はありますが、悲観的に生きている訳では無いのです。
病気を患うと、できることが少しずつ減っていきます。
好きな所に旅行に行けないだけではなく、最後は、1人でトイレに行けなくなるのです。
食事の量も、少しずつですが、減っていきます。
どんなに好きなごちそうを並べても、たくさん食べられなくなっていくのです。
隣にいる大切な方と、一緒にいる未来が訪れるとは限りません。
たまには、金銭的に許される範囲で、一緒に美味しい物を食べながら、家族と会話してみてください。
もし、妻が復活するのであれば、娘と3人で、できる精一杯のお金を使い、妻の好きな場所で、妻の好きなものを食べながら、おしゃべりを楽しみたいと思っています。
きっと、私は、細心の注意を払い、妻が喜ぶ笑顔を見逃がすことが無いようにするでしょう。
妻の後悔は、引き継ぐことができます。
自分の後悔は、残り続けます。
これからも、妻から教えてもらった、「当たり前に感謝」して日々過ごす大切さを、伝えていきたいと思います。
この記事が、大切な人との時間を過ごす、きっかけになればうれしいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。