死別シングルファザー【死別してから生活が落ち着くまでに掛かった時間】

スポンサーリンク
幸せになるヒント

死別シングルファザー【死別してから生活が落ち着くまでに掛かった時間】

1、はじめに
2、死別した当初の状況
3、不安だったこと
4、時間的な余裕ができるまで
5、精神的な余裕ができるまで
6、経済的な余裕ができるまで
7、最後に「笑顔を大切に」

1、はじめに

日本の総世帯数から見るとシングルファザー世帯は、0.16%と非常に少ないです。

シングルファザーになった理由が「死別」となると、シングルファザー世帯の約20%ほどで、さらに少ない世帯数となっております。

私は、そんな希少な死別シングルファザーになりもうすぐ4年となります。

妻と死別した時に2才だった娘は、6才になりました😊

来年は、ランドセルを背負って、小学生になると思うと感慨深いものがあります😊

4年前は大変だった生活でしたが、少しずつですが慣れてきて、このようにブログを書く時間を作ることもできるようになりました。

妻と死別した直後は、死別シングルファザーさんたちのブログを読んで、とても力をもらいました😊

私も先輩たちと同じように後輩の力になりたいと思い、ブログに私の体験を綴っております。

今回は、死別してから、生活に余裕ができるまでにかかった年月と状況を、時間面、精神面、経済面からそれぞれ書いていきたいと思います。

不安な生活を送っているシングルの皆様、これからシングルになる不安を抱いている方の励みや力になればうれしく思います😊

→目次に戻る

2、死別した当初の状況

妻と死別したのは、私が42才で娘が2才の時です。

妻の病気が進行し、妻の体力も限界で娘の世話ができなくなり、役所の方に無理を言って、急遽、保育園に入園させました。

娘が入園して、2日後に、妻は、安心したかのように永遠の眠りについてしまいました😥

それから4年、私たちは、二人きりで生活しています。

妻が亡くなったあとも、同じ職場で、仕事は続けさせてもらいました。

職場の方の理解には、感謝しかありません。

心にも体にも時間にも、仕事をする余裕なんて一つも無かったのですが、「娘を育てなくてはいけない」の一心で、根性で、正社員として、毎日8時間働き続けました。

妻が亡くなり4ヶ月後に、娘は、3才になりました。

そして、地獄のイヤイヤ期に突入です。

そこから4才になるぐらいまでの1年は、大変な毎日で、娘は、何が気に入らないのか分かりませんが、何をするにもワァーワァーと大きい声で泣き、ちっとも家事が進みませんでした😔

毎日が疲れ切っており、気力もなくなり、お風呂も1日置きしか入ることができませんでした😔

仕事にも、家事にも、育児にも余裕がなく、ほとんど当初の記憶が残っていないほどです。

→目次に戻る

3、不安だったこと

妻がガンを患い、仕事、家事、育児に加えて、妻の闘病のケアと介護もしていたので、妻が生きていた時の方が大変だったのかもしれません。

しかし、どんなに大変でも、妻がいるのといないのとでは精神的に大きく違います。

妻と二人で闘病していた時は、2才の娘には申し訳なかったのですが、娘には、ずっと流れる動画を見せて、ほぼほったらかしにして、とにもかくにも、妻の病気を治すことを最優先にして、全神経を集中させてました。

妻も前向きに闘病していたので、妻が生きているうちは、どんなに大変でも頑張れました。

その頃の不安は「妻がいなくなったらどうしよう。。。😔」でした。

妻がいるから頑張れるのであって、「もし、妻がいなくなったら、、、」・・・考えるのも嫌でした。

動けなくても良い、どんなに世話が掛かっても良い、とにかく妻には生きていて欲しいという想いで、毎日、妻のために頑張りました。

妻も自分がいなくなる将来を心配して、私がひとりになっても、私が、あまり困らないように色々なことをアドバイスしてくれ、準備もしてくれました。

我々の願いは叶わず、妻は、静かに眠りにつきました。

私は、抑えていた感情と不安が爆発して、妻が亡くなった数日は、悲しみで、立ち上がる気力も無く、ひたすらに涙が流れて止まりませんでした。

しかし、妻を惜しむひまもなく、2才の娘と、二人だけの生活もスタートしてます。

妻が遺してくれた娘を、妻の分まで私がひとりで育てなくてはなりません。

ひとりですべてをしなくてはいけない生活を考えると不安しかありませんでした😔

一番不安だったのは、子育てです。

「女の子を、男ひとりで育てることはできるのか?」

妻が永遠の眠りについてから1ヶ月ほどは、忙しい生活の中、悲しみと不安と闘い、勝手に流れてくる涙を袖で拭きながら、過ごしました。

→目次に戻る

4、時間的な余裕ができるまで

当初と現在の平日のタイムスケジュールの比較は、以下の通りです。

当初のタイムスケージュール 現在のタイムスケージュール
5:00 起床 5:00~6:30 起床&朝活&モーニングコーヒー
5:00~7:50 朝の準備片付け(6:30娘起床) 6:30~8:00 朝の準備片付け(7:00娘起床)
7:50~8:30 保育園送り&通勤 8:00~8:30 保育園送り&通勤
8:30~17:30 会社勤務 8:30~17:30 会社勤務
17:30~19:00 通勤&買い物&保育園迎え 17:30~18:30 通勤&買い物&保育園迎え
19:00~20:00 夜ごはんの準備 18:30~19:15 夜ごはんの準備
20:00~21:00 夜ごはん 19:15~19:45 夜ごはん
21:00~22:30 寝る準備 19:45~20:30 ダラダラ(動画観たりします)
22:30 娘寝かす 20:30~21:00 夜の片付け
22:30~23:00 夜の片付け 21:00~22:00 寝る準備(お風呂とスキンケア)
23:00 私就寝 22:00 一緒に就寝

今、振り返ると、常に家の中を走り回りドタバタと準備していましたね。

当初は、テレビを見る時間も無かったです。

もちろん、私のひとりの時間もありませんでした。

睡眠時間は6時間となっていますが、何かあると睡眠時間を削っての生活で、ほとんど6時間も眠れていませんでした😣

現在は、忙しい毎日に変わりは無いのですが、朝は、読書とブログの執筆、ゆっくりモーニングコーヒーを飲むなど、自分の時間が持てるようになってます😊

朝の準備も、家の中をバタバタと走り回ることなく落ち着きました😊

夜は、娘とダラダラと食後のデザートを食べながら、二人が好きなアニメを観て過ごしています😊

お風呂は、30分ぐらい掛けてゆっくりと入り、娘の肌や髪の毛などのケアもしてやることができています😊

睡眠時間は、7時間取れるようになり、毎日疲れ切っているような生活では無くなりました😊

このスタイルになってから、1年半ほど経つので、時間的な余裕を作るまでには、妻がいなくなってから、2年ぐらいは経ってからです。

妻がいなくなってから、2年間ずっと余裕が無い訳ではありません。

私が、大変だったのは、娘のイヤイヤ期があった最初の1年です。

慣れない家事と、娘のイヤイヤ期の対応には、なかなか苦戦しました😅

それから、1年ぐらい掛けて、徐々に徐々に時間に余裕が出てきて、気付いたら今のスタイルになっていました。

私が、時間の余裕を作るためにしたことは、「自分と娘の成長を信じる」ことと「時短家電の購入」です。

「苦労した分、成長するはず!」と自分を信じ、励まし、目の前の家事に立ち向かいました😣

すると不器用な私でも少しずつ家事にも慣れてきて、時間の効率が良くなっていきました😊

娘も成長しました。(と言うより、おじさんの私より、娘の成長速度の方が断然早いのですが。。😅)

娘のイヤイヤ期は、家事も進まずにとても大変でしたが、娘の成長を信じ、どんなに遅くなっても娘が「自分でやる」と言ったことは、最後まで娘にやらせて待つことにしました。

すると、最初は時間の掛かっていたボタンやファスナーなども早くなり、私が手を出すより早く準備ができるようになります。

私が手を出し続けていたら、いつまでも手が掛かっていたと思います。

最初は、「早くぅ~」とイライラしましたが、4才になる頃には、何でも自分でできるようになってました。

時短家電(ルンバ、ドラム式洗濯乾燥機、食洗器)にも頼りました。

高かったですが、かなり活躍してくれます。

私は、最初の1年は、バタバタと苦労をしましたが、その後は、1年ぐらい掛けて徐々に時間に余裕を持てるようになってきました。

きっと今の自分も成長しますし、娘は、もっと成長します。

これからも時間の余裕は、徐々に増えてくると思ってます😊

→目次に戻る

5、精神的な余裕ができるまで

今でも妻への執着が完全に消えた訳ではありません😥

しかし、精神的に余裕が無い訳ではなく、妻の死を受け入れて、むしろ妻を想い、娘と幸せに生活できています😊

このように思えてきたのは、妻の死から2年ぐらい経ってからです。

最初の1年は、どこか現実逃避をしていたように思います。

妻を亡くした直後は、ひたすら悲しくて前を向けませんでした。

闘病の末の妻の死でしたから、ある程度の覚悟はしているつもりでした。

それでも、妻が他界すると、死を受け入れることがなかなかできませんでした。

妻のいないこの世に、全く未練はありませんでした。

娘がいなかったら、妻の元に行っていたかもしれません。

妻のいなくなった現実を否定して毎日枕を濡らして眠りにつきました😥

戻ってくるはずも無いのに「戻ってきて欲しい!」と願ったり、「なんで自分だけこのような仕打ちを受けなくちゃいけないのか?」など、後ろ向きな考えの時もありました😥

また、妻への後悔もありました。

「もう少し妻にできたことは無いか?」など、忙しい生活の中でも考える日々を送りました。

そして、孤独が待っていました。

40代の希少な死別シングルファザーなので、同じような境遇の方は、周囲にはいません。

「誰も私の気持ちなど分かってくれない」などと、自分の殻にこもりがちとなりました😥

そんな私も、2年ぐらい経った辺りから、徐々にですが、妻の死を受け入れ、天国の妻のため、娘のために前を向くことができるようになりました。

もし、専門家の方に話を聞いてもらうことができれば、もっと早く立ち直れたかもしれませんが、私は、自分でグリーフケアをしました。

セルフグリーフケアで心がけたことがあります。

①規則正しい生活
②妻への供養
③ブログの執筆

①規則正しい生活は、心と体を整えると思ったので、休日も早寝早起きを心掛けています。

②妻への供養は、できる範囲でしてきました。

仏壇を迎え入れ、毎朝、毎晩手を合わせて読経してます。

月命日には、お墓に眠る妻に会いに行ってます。

天国の妻のために供養をするこにより、執着や後悔が薄れていきました。

⓷ブログの執筆を通じて、自分の気持ちの再確認ができ整理もできました😊

ブログは、自分の気持ちをネットの隅に、置いておくイメージです。

人気ブログでなくても、どなたかが見つけて、読んでくださいます😊

月々1,000円(ドメイン代+サーバーレンタル代)ほどの費用が掛かりますが、どなたかに読んでいただけると思うだけで、励みになり、書き続けることができています。

ブログ以外では、日記でも良いと思います。

私は、自分の気持ちを文字にすることで、気持ちの整理ができ、妻の死を受け入れることができてきたと思います。

この「規則正しい生活」「供養」「文字を書く」というセルフグリーフケアは、私のオリジナルですが、前(未来)を向く手助けになってくれています😊

→目次に戻る

6、経済的な余裕ができるまで

経済的な余裕ができるまでは、2年ほど掛かりました。

私の場合は、継続的な経費ではないのですが、妻の治療費、葬儀代、相続、税金、お墓や法要など、2年ほどかけて高額な支払いがあったので、なかなか落ち着きませんでした。

以下は、その時の状況と私の気持ちです。

治療費、葬儀代、仏壇代(亡くなってから2ヶ月)

亡くなった直後から、お支払いが待ってました😣

がん治療に掛かった高額な治療費をお支払いして、そのすぐあとに、現金で、葬儀費用を230万円ほどお支払いしました😣

仏壇は、妻の供養のために迎え入れました。

それほど大きくはない仏壇ですが、一式揃えるのに20万円以上しました。

死別直後から、予想以上に出費が重なりましたが、「一時的なことだ」と思ってお支払いしていました。

お墓と法要(亡くなってから1年)

ところが、さらに出費は続きました。

納骨や法要にもお金は必要です。

お墓は、いつでも行けるように、近所の公共の墓地にお墓を建てました。

お墓を建てるだけで、130万円(墓石90万、墓地代40万)ほど掛かっております。

お坊さんに法要をお願いすると1回当たり、3~5万円ほどのお布施をお渡ししてました。

最初の1年では、初七日、四十九日、百箇日、初盆、1回忌の法要をお願いしました。

妻の死亡保険金が、400万円ほどあったので、葬儀、お墓、法要代でほぼ使い切ってしまいました。

相続と税金(亡くなってから2年)

妻が亡くなってから、1年ぐらい掛けて相続や確定申告など財産の整理をしました。

相続と税金が、一番高額でした😣

相続では、ややもめたので、弁護士費用含めて、600万円ぐらいのお支払いをしております。

悲しんでいる中で、お金のことで言い争うことにとてもストレスを感じ疲れました。

全部投げ出したくなりましたが、妻に任されていたお金なので、きちんと弁護士さんにお願いして処理をしました。

税金に関しては、相続税はありませんでしたが、死亡保険金に所得税が掛かりました。

所得税は、400万円の死亡保険金を受け取り、名義も受け取り人も私だったので所得税(住民税)が掛かり、50万円ほど納めています。

住民税は、給料から差し引かれるので、一時的に住民税が上がり、とても少ない手取りで生活することとなりました。

むしり取られるような感覚で、お金の不安は、なかなか消えませんでした。

経済的に落ち着いたのはそれから

2年ぐらい掛けて、高額なお支払いがありましたが、その後は、通常の生活に戻りました。

3人暮らしから、2人暮らしに変わったので、生活コストはかなり下がりました。

遺族年金は、手続きしてから約半年ぐらい掛かりましたが2ヶ月に1回支給されるようになります。

娘の年齢が上がるたびに、保育料も下がり、制度の改正で、年少さんより保育料も無料となりました。

仕事は続けて良かったです。

介護の会社なので、コロナの影響も無く、安定した収入が入ってきました。

制度の改正や、会社の皆様のご理解にも助けられ、徐々に生活は楽になりました。

最初の2年は、経済的にかなり不安を抱えてましたが、今は贅沢はできませんが、経済的な不安は無く安定して生活できています。

→目次に戻る

7、最後に「笑顔を大切に」

最初の2年は、「妻を失った喪失感」、「ひとりでの家事育児に不安」、「経済的にも高額なお支払い」の3つの不安が同時に襲い掛かってきて、とてもしんどかったです😔

しかし、その後は、1年ぐらい掛けて、時間的にも、精神的にも、経済的にも不安を解消することができました。

私の場合は、落ち着くまでに、2年ぐらい掛かりましたが、人によっては、もっと早く落ち着くこともあれば、長引くこともあるかもしれません。

すぐには楽にならないかもしれませんが、徐々に徐々に慣れてきて、気付いたら楽になっていくと思います。

私が、立ち上がれたのは、自分ひとりの力だけではありません。

色々な方の支えがあったからに他なりません。

ひとり親は、ひとりではありません。

私の支えになったのは、妻の想い娘の笑顔家族(両親や妹弟)の協力職場の理解地域の方の援助です。

自分だけが不幸になったような気持ちになることもありましたが、そんな時は、支えになっている方々のことを思い出し、感謝することで、乗り越えることができました。

それでも一番大事にしたのは、妻と自分と娘の笑顔です。

天国の妻の笑顔、娘の笑顔を作るため、私も必死に笑いました。

私が笑っていれば、みんなが笑顔になると信じて、今でも根性で笑い続けています。

今でも妻のことを思い出すと泣けて涙が出てきますが、涙を袖でぬぐいながらも笑っています。

笑えない時もありましたが、そんな時ほど笑顔を大事に笑うように心掛けました。

これから、ひとりになり生活に不安を感じている方も、今現在、不幸のど真ん中だと感じ、ひとりで頑張って生活されている方も、お子様にトラブルを抱えて不安な生活されている方も、どうか笑顔の力を信じて笑ってみてください。

今、笑わえば、きっと未来の自分も笑っています。

もし、笑えなければ、ツイッターでDMください。

読ませていただきます。

文字を書くだけで、気持ちの整理ができると思いますので、遠慮なくDMをいただければと思います。

どんな悩みでも、ひとりで悩まず、悩みを打ち明けていただければと思います。

皆さんの笑顔を増やすのにこの記事が役に立ったのであれば、うれしく思います。

この記事を最後まで、目を通していただきありがとうございました。

→目次に戻る