【天国の妻に33通目の手紙】死別シングルファザーと娘の物語9月「思い出の花火大会」

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シングルファザーが、天国の妻に宛てた手紙たち<不定期>

どーも気ままお父さんです!

4年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に7歳娘を1人で育てている47才のシングルファザーです。

今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊

どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?

このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。

何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊

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【天国の妻に33通目の手紙】死別シングルファザーと娘の物語9月「思い出の花火大会」

毎月、妻へ手紙を書いてます😊

娘の成長や、今の想い、妻との思い出を、言葉に込めて天国の妻に贈っています😊

妻へ手紙を書くのは、私が死別を受け入れるための1つの方法です。

妻に娘の成長や日頃の様子を伝えて、今の自分の気持ちを書くことにより、気持ちを整理することができています。

死別を受け入れるには、時間がかかります。

私は、妻の人生の終わりが来た時、自分の人生も終わったんだと思い悲観しました。

それでも、泣いている私に無邪気に笑いかけてくる幼い娘の笑顔が、私の持っている“今ある幸せ”に気付かせてくれました。

そのことを文章に書いて、今ある幸せを一つ一つ集めることで、今は、娘と笑顔で楽しく、妻を想い、幸せに暮らすことができるようになりました。

私たちのエピソードは、大切な家族との死別の向き合い方や、今ある幸せの感じ方のヒントになると思います。

死別した家族、今ある家族を、大切に想うきっかけになり、死別の受け入れや、悩んでいる人の励みになれば幸いです😊

目次
1,2年ぶりに花火大会に行く
2,二人でオセロにハマる
3,2学期になって

1,2年ぶりに花火大会に行く

花火を見せてあげたいと思い、あなたとも見に行っていた瀬戸物祭りの花火を見に行って来ましたよ。

浴衣を着せてやり、電車に乗って行ってきました。

コロナの影響で、祭りが中止になっていて、3年ぶりの開催でした。

前回連れて行った3年前は、娘もまだ4才だったので、可愛い甚平を着せていましたが、それも着れなくなり、今年は、浴衣を着せてやると、随分とお姉さんぽくなりましたよ😊

久しぶりの開催ということもあり、多くの人でにぎわっていました。

花火の上がる時間より、少し早めに行って、瀬戸物の出店を物色してきました😊

サラダ用の小鉢が欲しくて、良い物が無いか、いくつもの出店を見て回りました。

娘と、「あれもいいね。」「これもいいね。」と、目移りして、なかなか一つに絞れません😅

随分と店を回ったあとに、目を付けていた「ブルーの小鉢」の置いてあるお店に戻り、もう一度、手に取って物色します。

「どう思う?🤔」

娘「いいんじゃない😊」

と言うことで、この「ブルーの小鉢」を2つお家に連れて帰ることにしました。

花火の時間まで1時間ほどあったので、屋台で、フライドポテトを2つ買って、花火の見えそうな位置に持ってきたシートを敷いて、二人で並んで花火が上がるのを待ちます。

少しずつ暗くなっていき、花火の時間が近づいてきます。

まだか、まだかと待っていると、一つ目の花火が、上空に上がっていき、見事に開きました。

私も久しぶりに見る花火😊

娘は、感動と言うより、「あれが、花火かぁ🤔」という表情で、興味津々に見上げていましたよ😊

前回来た時のことを覚えているか聞いてみると、花火を見たことより、一緒に電車に乗ったことを覚えているようでした😅

物心がついて、電車に乗るのが初めてだったので、今でも強烈に印象に残っているようです😅

きっと、二人で並んで見た今日の花火は、いつまでも私たちの記憶に残ると思います。

あなたと、一緒に3人で来た時は、娘はまだ1才でしたから、娘はまったく覚えていないです。

私と、あなたの記憶の中に、「思い出」として残っているだけです。

私が、生きている間、私の心の中で何度も蘇り、3人で見上げた花火を見た時の、幸せな感覚を味わうことができます。

私が、いなくなれば、あの時、私たち3人が、仲良く花火を見上げたことを知っている人が、いなくなってしまうと思うと、とても儚いです。

3人の写真も残っているし、このように書き残しているので、「花火を見た事実」は、娘に伝わるかもしれません。

でも、あの時の「幸せの感覚」は、あの時に感じた人にしか残りらないのです。

そう思うと、切なく、儚く、寂しい思いでいっぱいになり、大切に心の中にしまっておこうと思えます。

今日、二人で見上げた花火は、私と娘の心の中で、大切に保管され、いつまでも、思い出せます。

私と娘は、お互い生きている限り、この花火のことを語り合うことができ、より一層楽しむことができます。

でも、私がいなくなれば、娘の記憶の中だけで保管され、時間が経てば経つほど、思い出す回数も減っていくのでしょう。

あなたと出会い、結婚して、娘を産んでくれて、花火を見に行ったりして、穏やかに、そして幸せに暮らせていました。

私にとって、人生で最高に贅沢な時間でした。

あの頃の私たちは、あまりに幸せ過ぎて、油断して、自分たちが、限りある時間の中で生きていることを忘れてしまっていました。

あなたと私が、二人で体験した最後のお別れは、全身の水分が、目から流れ出てしまうほど悲しく、今すぐあなたの後を追い掛けたいと思うほど辛いものでした。

でも、その辛さと悲しみが深かった分、私に、「人生の貴重さ」という針が、心の奥まで深く刺さり、抜けなくなり、いつも意識できるようになりました。

あなたがいなくなったと同時に、私の貴重な人生の時間が始まりました。

あなたとの幸せな物語は、いったん終わりましたが、続きの物語は、悲しいものでも苦しいものでもありませんよ。

ひとりでの子育ても、家事も、仕事も何の苦にも感じません。

だって、あなたが、したくてもできないことだから。

むしろ、あなたの分も「貴重な体験をしている」と思えるのです。

「あなたの分も楽しまなくちゃ」って思い、日々、過ごせています。

今でも、あなたと一緒にいますよ。

これからも、あなたを思い出しながら、いつかは消える貴重で儚い、そして楽しい思い出を、これからも娘と作っていきたいと思っています。

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2,二人でオセロにハマる

最近、二人でハマっているゲームがあるんですよ😊

それは、オセロです。

「小学1年生とオセロして楽しいの?」と思うかもしれませんね😅

それは、その通りなんですよ。

娘とするゲームは、つまらないことが多いです。

大人なので、手加減してやらないとゲームが成立しませんし、わざと負けてやらないと機嫌を損ねてしまいます。

娘は、喜んでやりますが、私には、ストレスです。

だいたいのゲームは、「ゲームを楽しむ」のではなく、「娘の遊びにお付き合いしている」という感覚です。

娘が、学童で、色々なゲームを覚えてくるのですが、「オセロ」もその一つでした。

夏休みぐらいに、学童から帰ってくると、娘「オセロやりたい」って言うので、どこかでもらってきた小さなおもちゃのオセロを出してやりました。

「付き合ってやるかぁ~」という気持ちで1回やってみたのです。

その時の娘は、適当に石を置いていきました。

まぁ適当と言っても、ルールは、学童で教えてもらったので、「挟めるマスにしか置けず、挟んだらひっくり返して、最後に自分の色の石が多い方が勝ち」ということは、分かっていたんですよ。

でも、オセロにも「置き方」や「勝ち方」があるので、ついつい親心で娘を強くしてやろうと「置き方」を、教えてみたんです。

オセロが好きになった娘は、「オセロやりたい」と何度も何度も誘ってきます。

「お父さん、オセロは、負けないよ」って伝え、挑戦して来るたびに打ち負かし、「置き方」を教えてみました。

ある時、突然、その習慣が、来ました。

私が、負けたのです。

もう途中で、「あれ?負ける?」って思ったら、そのまま負けてしまいました。

何回もやれば、負ける時もあるだろう?って思うかもしれませんが、私は、オセロは結構知っている方で、ゲームのコンピューター相手に初級や中級、上級に負けることはないんですよ。(最上級には、3回やって1回勝つぐらいですが、、😅)

オセロも最後の最後まで分からない局面があり、置き方を間違えると、形成を逆転されてしまいます。

なので、「どこかでミスるかな」と思っていたら、そのまま最後まで、娘は、ミスることなく、見事に負けてしまいました。

娘「よっしゃ!ギリギリ勝った!」

「すごいじゃん!もう1回やろうか?😤」

まぐれかと思い、もう1回やったら、私が勝ちました。

次も私が勝ちました。

「やっぱりまぐれかな😅」と思っていたんですが、その日を境に、3回に1回は、負けるようになってしまいました。

どんなに真剣にやっても、3回に1回は負けてしまいます。

本気でオセロをやることも無かったので、とても楽しくて、二人でハマってしまっています。

いつでも、どこでもできるように、スマホにオセロアプリを入れて、待ち時間が少しでもあると、二人でオセロやってます。

すでに、娘は、難易度MAXにも勝ってしまうようになりました。

多分、普通の大人には勝ってしまうぐらいでしょう。

あなたは、きっと負けてしまいますよ😅

あなたがいたら、「もう、お母さんとやったら勝てるよ😊お母さんとやってきてごらん」って言って、二人でオセロして、ボコボコにされたあなたが苦笑いしながらも、「すごーい😊」って頭を撫でてやっている姿が、目に浮かんできます😊

まだ、少しだけ私の方が、勝つ回数が多いですが、このままハマり続けていくと、きっと来年には私は勝てなくなるでしょう😅

「大きくなったなぁ」って実感します。

おまけに伝えると、トランプでやる「神経衰弱」は勝てるのですが、カルタでやる「カルタ神経衰弱」(読み札と絵札を合わせる)は、全く勝てません。

短期記憶では、もう勝てないです😅

あなたは、記憶力がすごいので、「カルタ神経衰弱」は、娘と良い勝負をするでしょうね😊

二人が、真剣にカルタ神経衰弱をしている姿を見たかったなぁ。

全然、覚えられない私が、どんどん覚えていくあなたたちの記憶力に、ただただ「すごい」って驚いたことでしょう。

あなたに似て、賢い子ですよ。

一緒にいて、楽しいですし、いつも笑って過ごせています😊

何も心配いらないですよ。

あなたの代わりに、私が、娘を守って、大人にします。

これからも、見守っていてください。

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3,二学期になって

2学期が、始まりました。

少し、日頃の様子を報告しておきたいと思います。

夏休みが終わり、2学期も元気に学校に通っています。

私は、お弁当から解放されて、改めて、給食の有難みを実感しています😅

学校の準備は、娘が、自分で全部しますよ。

給食のナプキンを入れ替えて、鉛筆を削り、時間割を合わせ、連絡帳を私の机に置きます。

4月に買ってあげた鉛筆を5本持っていくのですが、この間、1本短くなって使えなくなり、新しいのと交換しました😊

ランドセルは、まだまだ、娘の背中には大きいですが、随分と馴染んできて、似合ってきましたよ😊

学校では、特定の仲の良いお友達ができて、いつも一緒にいるそうです。

2学期に入り、国語と算数のテストの結果を、一週間に1回ぐらいのペースで持って帰ってくるようになりました。

算数は、間違えずに、いつも満点を取ってきますが、国語もほぼ満点を取ってくるのですが、たまに、カタカナの「ツ」と「シ」や「ン」と「ソ」など、簡単なところを間違えてきます。

私が、教えていることは、「丁寧さ」です。

「丁寧に計算する」こと、「丁寧に字を書く」こと、それだけ伝えています。

今のところ、学校の勉強には、ついていけてるみたいなので、心配していません。

給食は、時間内に全部食べ切れないようです。

本人は、気にしているようですが、食べるスピードは、だんだん速くなってきています。

学校が、終わったあとは、みんなで歩いて、学童に行きます。

学童でも、また違った仲の良いお友達ができて、楽しく過ごしているようです。

学童では、宿題をすべてやってくるので、家に帰ってから慌てて宿題をすることは無いです。

家には、夕方6時から、スーパーに寄っても、6時半には、帰ってきます。

家に着いたら、まずは、二人で玄関に座り“靴”に無事に帰ってきたお礼をします。

この儀式は、私の“靴への願掛け”です。

私は、あなたがいなくなってから、家族が無事に家に帰ってくることだけを願って過ごしています。

靴に丁寧にお礼をして、手を洗い、うがいをします。

それぞれ、仏壇の前に座り、鈴を一つ鳴らして、手を合わせ、あなたに「ただいま」を伝えます。

その後は、私は、大好きなお酒を飲みながら、料理を作り、娘は、学校の準備をして、ピアノの練習をします。

食事は、7時半ごろ食べられるように作っています。

なので、私が、キッチンに立っているのは、1時間ぐらいで、その間に、娘は、ピアノの練習を30分、余った時間は、食事ができるまで、本を読んでいます。

キッチンからは、集中している娘の真剣な横顔が、見られます。

毎日、私は、リビングに映るその風景をキッチンから眺め、BGMは、ピアノの生演奏を聴き、お酒を片手にのんびりと調理しています。

優雅でしょ?😊

食事は、食卓で向かい合って食べます。

今でも、あなたと選んだ6人掛けの大きな食卓を、二人だけで使っていますよ。

二人分の食器を並べても空白だらけの食卓ですが、気に入って使っています。

食事中は、テレビは、一切、つけなくなりました。

私が、雑音が嫌いなのと、テレビがついていると、娘がテレビから目を離すことができず、食事が進まないからです。

食事が終わるのが、8時ぐらいで、私は、食器を洗い、お風呂の準備をします。

娘は、お風呂が沸くまで、テレビで、動画を観ています。

お風呂から上がると、パジャマを着るのが、9時前ぐらいですね。

それから、二人で、テレビゲームして10時前には、歯を磨き、髪を乾かして寝ます。

寝る前は、寝室の明かりを豆球にして、ロウソクに火を入れて、鈴(りん)を一つ鳴らして、今日の無事の感謝と、明日の無事の願いを伝え、お経をお唱えします。

娘は、寝付きが良く、私が読経している数分の間には、もう寝ていることが多いですね。

私もすぐに部屋を真っ暗にして、一緒に娘の横に並んで寝ちゃいます。

私は、朝5時には起きます。

相変わらず早いでしょ😊

コーヒーを煎れて、気になっている本を読んでます。

娘は、7時前に起こせば、7時40分に「行って来ます」ができるぐらい、朝の準備は早くなりました。

二人とも、起きたら、仏壇に手を合わせて、読経し、あなたに「おはよう」します。

出掛ける前は、一日の無事をお願いして、あなたに「行ってきます」をします。

「靴への願掛け」は、朝にもします。

玄関に座り、ブラシで、丁寧に、二人の靴のホコリを払い、布巾で磨いたあと、きれいに並べて「今日も無事に家に連れて帰ってきてください」とお願いします。

私は、玄関の前で、娘の背中が、見えなくなるまで、無事に帰ってくるように祈りながら、見送ります。

朝も、一切、テレビはつけないです。

これが、普段、定着した二人の暮らしです。

毎日、無事に帰ってきて、毎日、同じ生活ができることに有難みを感じて、生活しています。

毎日一緒で、退屈ではありませんし、ひとりで育児と家事をしていて大変とも思っていません。

そんなことを思ったら、あなたに申し訳がないです。

あなたは、家族のために、家事も育児も、嫌がらずに張り切ってやってくれていました。

今でも、元気に一緒に暮らせていたなら、私たちのために、張り切ってやってくれていたでしょう。

その想いを私が受け継ぎ、あなたのようにまだまだうまくはいかないですが、想いを込めて家事をし、育児をしています。

家事と育児に想いを乗せたいので、私は、雑音をとても嫌うようになりました。

テレビは、つけなくなりましたし、運転中も、カーオーディオから音を出すのを止めました。

静かになれば、あなたを近くに感じることができます。

あなたは、いなくなりましたが、いつもあなたを感じて、一緒に暮らしています。

あなたも、生きていたら、きっと今の私たちの暮らしを気に入ってくれると思います。

静かに、穏やかに、毎日、家族で笑って過ごせる我が家です。

あなたの想いの詰まったこの家で、娘を育てあげたいと思います。

心配でしょうが、どうかこれからも見守っていてくださいね😊

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先月の手紙↓(良かった読んでください😊)