死別を受け入れる。妻を亡くした私が始めた4つの習慣とは?

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幸せになるヒント

どーも気ままお父さんです!

ブログに興味を持っていただきありがとうございます😊

私は、6年前に最愛の妻を病気で亡くした死別シングルファザーです😢
今は、妻との死別を受け入れ、「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に9歳娘と楽しく幸せに暮らしています😊

天国の妻への手紙や未来の娘に宛てた日記、死別、生活の質に関することを書いてます。

皆様のお役に立ちたいと思い書き続けています😊

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【死別を受け入れる。妻を亡くした私が始めた4つの習慣とは?】

1、はじめに

私は、死別を乗り越えるものではなく、死別とうまく付き合っているような感覚で生活しています。

死別を乗り越えようと思ってもうまくいかず、忘れようと思っても忘れられませんし、考えるなと言っても頭から離れません。

なので、私は、死別を無くすのではなく、死別とうまく付き合うように生活しています。

その方が、無理もなく、自分に合っていました。

この記事では、私が、死別とうまく付き合うために始めた習慣について書きました。

私は、妻が他界してから、新しい習慣を始めたことにより、私の生活は豊かになったと感じています。

死別で苦しんでいる方の参考になれば幸いです。

1、はじめに
2、読経
3、靴磨き
4、資産運用
5、ブログ
6、終わりに

2、読経

妻が他界し、家に仏様(仏壇)を迎え入れました。

毎朝、毎晩、仏壇に花を立て、ロウソクに灯りを入れ、線香を炊き、おリンを鳴らし、手を合わせてお経を読み上げます。

昔、おじいちゃんが、亡くなったあと、しばらくしておばあちゃんの家に泊まりに行ったら、おばあちゃんが、朝、やっていたのを思い出し、始めました。

読経と言う習慣は、私の心をとても穏やかにしてくれていると感じます。

忙しい生活の中に、数分の時間を作り、お釈迦様にお経を聞いていただいています。

お釈迦様、妻のために、お花をお供えするのは、慈悲の行為と言われています。

見返りを求めない慈悲の行為は、私の心を穏やかにしていきます。

ろうそくに灯りを入れるのは、道を照らすことを意味し、知恵を授かる行為と言われています。

迷った時に、道が明るいと歩けます。

知恵は、人生の道を照らしてくれて、不安を消してくれます。

焼香は、線香の煙と共に心のうやむやを浄化してくれる行為と言われています。

どんな人でも間違えることはあります。

後悔や悩みを線香の煙と共に浄化していきます。

合掌は、右手は仏様の象徴で、左手は自分を表しており、両手を合わせて仏様と自分の心を重ね一体となる行為と言われています。

手を合わせて、仏様より、知恵を頂き、祈りを聞いてもらいます。

読経は、亡くなった大切な家族が、死後も無事に行くべき場所に行けるようにお祈りすると言われています。

私は、仏教徒ではありませんし、ここに書いたことの意味が本当の意味で正しいかどうかは分かりません。

しかし、私は、妻のために毎日時間を作り読経を行っています。

忙しい毎日の中、数分だけ、背筋を伸ばし、一呼吸し、花の水を替え、火を灯し、焼香、合掌、リンを鳴らして読経する。

この数分の間に、妻と心を合わせ、お釈迦様に感謝を伝えると、心が穏やかになり、忙しい毎日を少し落ち着かせてくれます。

私にとって、読経という習慣は、妻の死を受け入れることができた大切な習慣と思っています。

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3、靴磨き

私が、持っている物で、一番感謝をしなくてはいけない物は何か考えた中で、“靴”が思い浮かびました。

靴は、私の行きたい所に連れて行ってくれて、私に素敵な出会いを与えてくれます。

そして、無事に家に連れて帰ってくれます。

私は、毎朝、“靴”に感謝の気持ちを込めて、ホコリを払い、きれいにしています

靴の手入れが終わった後に、素敵な出会いと家族の無事の帰宅を、声に出してお願いします。

帰ってきたら、娘と、玄関にきちんと靴を揃えて、座って、素敵な出会いと無事の帰宅に、2人で声を出して感謝を伝えます。

妻は、物を大切にする人でした。

返事もしない“物”に、名前を付けて、声を掛けていました。

私は、妻を見習い、“物”をもっと大切にして暮らそうと思っています。

妻が、この世を去り、その想いは、益々強くなり心がけるようになりました。

“靴磨き”は、物を大切にしようと、私が始めた習慣の一つです。

朝、玄関で靴のほこりを払っていると、物を大切にしていた妻を思い出します。

毎朝、靴のほこりを払うのに2~3分ぐらいですが、私にとって、妻と一緒にいるように感じる大切な習慣となっています。

妻がしていて見習いたいと思って始めた習慣は、死別を受け入れるのに、とても大切な習慣に感じています。

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4、資産運用

資産運用は、妻が他界して、1年半ぐらい経ってから始めました。

お金持ちになりたくて、資産運用を始めた訳ではありません。

また、妻もしていませんでしたし、妻がいなくなって、自暴自棄となり、無謀に投資を行っている訳でもありません。

私が、投資を始めた理由は、「妻にほめられたい」からです。

妻は、非常に頭の良い知的な女性でした。

私の何倍もの知識を持ち合わせ、言葉や文章も理路整然としており、ここぞという時の集中力は高く、とても「すごい」といつも褒めていました。

そんなすごいと思っている妻に褒められると、私は、自分に自信が持てて、やる気になるのです。

妻は、私の洞察力と分析力を良く褒めてくれました。

洞察力は、家族を良く観察して、思っていることや行動の心理を考えることが多かったので、「私にはできない」といつも褒めてくれてました。

娘が、泣いていると、妻は、娘に必死に何かを与え泣き止まそうとしましたが、私は、「○○さん(妻の名前)の顔が笑ってないからだよ」って妻の笑顔にしてあげることで泣き止ますことが良くありました。

妻は、「私には無い発想だ」とすごく褒めてくれたのです。

分析力は、私が、様々な情報を集め、妻に分析した結果を伝えると、「すごい」って言ってくれてました。

私は、妻より、失くした物を、見つけるのが得意でした。

妻は、失くした物を、部屋の片っ端から探していくのですが、私は、探しまわる妻に「いつ失くしたことに気付いたのか?」「何をしていたのか?」と後を追いかけヒヤリングして、妻の行動を分析します。

今までの行動の情報を集めて、妻が、どこに何を置こうと考えるのか推測して、ピンポイントで探し当てることができるので、失くした物を見つける際は、とても重宝されました。

妻が「すごい」と言うだけで、本当にすごいかどうかは、自分では分からないですが、妻に褒められた洞察力と分析力を活かせるものは無いか常々考えていたのです。

それで始めたのが、株式投資です。

企業分析や、未来の経済予測などに活かせると思ったのです。

企業の分析をして、世の中の流れを良く観察し、あれこれと説明していると、妻が「すごい」って褒めてくれるような気がするのです。

正しく分析し、未来を予測できるとは思っていませんが、企業分析や、未来予測などをあれこれ調べ考えるのは、とても楽しいですし、没頭できます。

楽しく没頭できるということは、自分に合っている趣味と思います。

妻には、良い趣味を見つけてもらったと思っています。

妻に応援してもらいながら、没頭できる習慣が見つかったことは、妻の死別を受け入れる際の大切な習慣だと感じています。

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5、ブログ

妻が、他界しブログを始めました。

妻から、最後まで「あなたのおかげで私は幸せだ。いつもありがとう。」と言われいました。

その妻の言葉で、私は幸せを感じ、今でも幸せに暮らせています。

人を幸せにできたら、自分も幸せになると、妻は、私に教えてくれました。

私は、妻以外の人を幸せにできるような影響力のある人間ではありませんが、今までの経験談をブログに書くことによって、少しでも悩んでいる方の力になれるのでは無いかと思いました。

私は、今まで、色んなことがあり、たくさん悩んできました。

子供の不登校、妻とのがん闘病、妻との死別、今は、1人で子供を育てているシングルファザーです。

私は、今でも、同じような体験をされている方の本を読んだり、ブログを読んだりして、勇気をもらったり励まされたりします。

そこで、私も、同じようなことで悩んでいる方の、力になりたいと心から思ったのです。

インターネットに公開すれば、多くの方の目に留まると思い、最初は、ツイッターを通じて行っていましたが、伝えることに限界があったので、ブログという方法を試してみようと思いました。

パソコンを買い、ブログの解説の仕方を勉強し、アドレスやサーバーをレンタルして、インターネットに公開できるようにしました。

おじさんでも、何とかこのように皆様に読んでもらえるまでになりました。

自分の悩みや、解決したこと、失敗したことなど何でも書いています。

自分の気持ちを文字にしていると、自分の悩みや不安も軽くなります。

心のモヤモヤが整理されてスッキリとするのだと思います。

死別の寂しさや、不安、悩みを言葉で書き綴ることで、自分の心も少し整理できたように思います。

ブログを書くという習慣は、悩んでいる方の力になれるのと、自分の心の整理ができ、死別を受け入れる際の大きな助けになったと思います。

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6、終わりに

私は、妻と結婚し、可愛い娘を授かり、幸せの絶頂でした。

しかし、その幸せの絶頂で、妻を病気で亡くしました。

今は、1人で子育てをするシングルファザーです。

ジェットコースターみたいな、幸せの乱高下があり、妻を亡くした当初は、妻がいない寂しさと不安、子育ての不安、お金の不安、仕事の不安を抱えるなど、毎日が不安との戦いでした。

私は、新しい習慣を始め没頭することにより、不安を消したかったのかもしれません。

今では、不安は見事に解消し、人生の幸福度は上がり、娘と楽しく笑って暮らせております。

私が、始めた新しい習慣は、死別を受け入れるのに大きな影響を与えてくれたと思います。

新しい習慣を始めたり、身に付けるのは、簡単ではありませんが、簡単では無いからこそ、不安を忘れて集中もできるのです。

それでも、ふと、死別を思い出し、深い悲しみに包まれ、時には涙を流すこともあるのです。

死別されて、故人を忘れられない方には、是非、故人を思い出せるような習慣を始めてみてください。

無理に忘れようとしても、忘れられないのですし、すべてをポジティブに考えなくても良いと思います。

うまく自分の気持ちと付き合うことが大事です。

寂しければ、今は亡き人を偲んで、泣けば良いのです。

亡き大切な人に毎日でも語り掛け、大切な方が、何を想うか推し量ってみていただきたいのです。

仏壇に手を合わせても良いですし、大切な人の眠る方向を眺めながらでも良いので、声を出して語り掛けてみてください。

それを習慣にするのです。

悲しい気持ち、楽しかった思い出、助けてもらったこと、してあげたこと、してあげられなかったこと、何でも良いので語り掛けてみていただきたいのです。

そして、今の気持ちを素直にお伝えしてみてください。

私は、毎日、「会いたいね」って伝えてます。

そして、「応援しててね」「いつも見守ってくれてありがとう」「愛しているよ」って付け加えます。

きっと、大切な方は、今のあなたの気持ちを受け入れて下さいます。

少しずつ、語り掛ける習慣を増やして、一緒に生活していれば、これからも、嫌なことも楽しいことも一緒に共感できます。

私も、死別を受け入れている真っ最中です。

終わりは無いように思っています。

悲観的には、なっておらず、私も娘も妻に笑顔で話し掛けています。

死別の苦しさは、すぐには解消できません。

この記事が、死別を受け入れる一助になり、これからの人生が、少しでも明るく思えるのであれば、これほどうれしいことはありません。

最後まで、読んでいただきありがとうございます。

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