
どーも気ままお父さんです!
7年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に9歳娘を1人で育てている49歳のシングルファザーです。
今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊
どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?
このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。
何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊
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少し、お墓のことについて、書いてみようと思います。
お墓のことで、悩んでいることはありますか?
先日、中学以来の親友が病気で亡くなり、その親友の奥さんは、「どこに納骨しようか」と、とても悩まれていました。
その悩み抜かれたお墓に、別の親友と手を合わせにいったのですが、その親友は、神式の家庭で、物式のお墓参りをどのように墓参りしたら良いか分からないようでした。
また、私は、49歳で、友達や同僚との話題に、「墓じまい」というワードも多く出るようになってきています。
それは、ニュースで、管理されず放置されているお墓がたくさん増えていると話題になっているからです。
最近良く、お墓のことを耳にしたので、私なりのお墓の考えを書いてみようと思いました。
私の結論は、お墓は、自由にしたら良いと思っているので、私の言うことが、正しいと思って書いているわけではありません。
一般人の一意見として、読み進めていただければ、幸いです。
さて、みなさん、お墓ですが、お墓を建てたことありますか?
多分、お墓を建てたことのある人はかなり少なく、納骨に立ち会ったことがある方はいるかもしれませんが、喪主で納骨をされたことのある人もそんなに多くは無いかもしれません。
私は、43歳で、今住んでいる自治体が管理している墓地に妻のためにお墓を建てました。
建てたから6年が経ちますが、自分で建てたお墓なので、毎月、お墓参りに行って、お墓に眠る妻とお話ししながら、お花を取り替え、お墓をスポンジで磨いてきれいにして、手を合わせ、読経して帰ってきます。
今では、このお墓参りの時間は、自分なりにとても高尚な時間となっています。
一方で、ご先祖様のお墓参りには、盆と彼岸に行きますが、それほど高尚な時間と思ったことはありません。
同じお墓参りなのに、一体、何が違うのでしょうか?
おそらく、それは、お墓に向かう私の心が違うからでしょう。
妻のお墓参りは、私が妻のためにしてあげたいからであって、誰かに強制されて行っている訳ではありません。
もちろん、生前、妻から頼まれた訳でもありません。
一方で、ご先祖様のお墓参りは、言葉はあまり良く無いかもしれませんが、習慣的というか、義務的な感じがあります。
決して、強要されている訳ではありませんが、お墓参りをしない選択肢が無いというか、そんな感じです。
たぶん、お墓に対して、悩んでいる人って、私で言う、ご先祖様のお墓参りをされている人なんじゃないかなって思います。
このままいつまでも、お墓を世話しなくちゃいけないのか?、お墓参りって何でしなくちゃいけないのか?って、心のどこか片隅にあるのかもしれません。
そのお気持ちは、とても良く分かりますし、妻が亡くなる前までは、そのように考えていました。
ただ、今の私は、お墓のことについて、何も悩みを持たなくなりました。
妻のお墓も、ご先祖様のお墓も、処分も考えていないですし、このままずっと、お墓参りを続けていこうかと思っています。
なぜ、このように思ったかと言うと、大切な妻を亡くしたからだと思います。
もし、お墓で何か悩んでいることがあれば、今、大切な人が、亡くなったあとのことを考えてみれば良いと思います。
私みたいに、ご先祖様のお墓は、遠いので、住んでいる自治体の管理している墓地に埋葬し、すぐに手を合わせに行けるようにしたいと思われる人もいるのではないでしょうか?
両親や、祖父母なら、形式的に、ご先祖様のお墓に埋葬されるでしょうが、自分の妻や、お子様だったら、どうされますか?
自分の近くに置いておきたいと思うのではないでしょうか?
そして、その大切な方が埋葬されているお墓を、処分したいと思うでしょうか?
きっと思わないと思います。
でも、あなたが大切だと思っている人でも、100年先のあなたの祖先は、会ったこともない人を、大切な人とは思わないでしょう。
それでも、何百年も先祖代々受け継がれているお墓は、家族の絆がしっかりできており、その絆を大切に受け継いできからこそ、今でも一族が手を合わせにお墓参りにやってくるのです。
家族への想いを大事受け継いだからこそできることであって、義務や形式だけでは、決して、受け継がれていかないと思います。
私は、令和の時代に入り、個人が尊重され、人間関係や家族関係が、だんだん希薄になっていると感じます。
昔の伝統を残しつつ、効率化を求めている感じでしょうか。
私は、少し寂しい気がするのです。
お墓参りは、私に高尚な時間を与えてくれています。
効率化や簡略化していたら、きっと手に入らない時間だったかもしれません。
なので、私は、お墓参りなので、故人を偲ぶ時間は、あっても良いと思うのです。
自分の子供や孫に残すかどうか迷われている方も、自分が決めるのではなく、自分が天国に行ったあとに、遺ったご家族に決めてもらうのも良いのでは無いでしょうか?
私は、そのように思っています。
私が、元気に生活しているうちは、お墓のお世話を大切にして、お墓参りができないぐらいに足腰が弱ってきたら、娘に同じ話をして、娘の意見を尊重したいと思っています。
私が、今できることは、妻のお墓と、娘を大事にしていくこと。
大事に愛情たっぷり注いで育った娘は、お父さんとお母さんのお墓をどうするでしょうか?
それは、娘が決められるようにしてあげたいと思います。
お墓参りは、面倒ですが、個人を偲ぶ大切な時間を作ってくれます。
お墓は、亡くなった方のためにあるし、今、生きている家族のためにもあると思うのです。
お墓をどうするかは、自由です。
この記事が何か参考になれば、幸いです。