
どーも気ままお父さんです!
最愛の妻を病気で亡くしました😢
妻の想いを繋ぎ5歳娘を1人で
育てているシングルファザーです。
天国の妻と未来の娘に宛てた日記や
生活の質に関することを書いてます。
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3人姉妹が、全員不登校になりました。
私たち家族は、とても悩み、苦しみました😔
最初は、長女(中2の9月から不登校)が不登校になり、妹の小学生二人も、不登校になりました。
子供たち、全員が“学校に行けない”という絶望感を今でも忘れることはできません……。
それでも、前向きに考え、不登校を乗り越えていく娘たちを、支援し続けた我々の体験談を少しずつ書いてます。
前回は、中3娘の復帰初日のことを書きました。
今回は、その続きです。
私たちの体験談が、不登校に悩む方々の一助になれば、幸いです。
☆目次☆
1、次のハードル
2、復帰後、初めて歩いて登校する
3、寝坊事件
4、スクールカウンセラーと一緒に登校して得た“学び”
5、遅刻も必要
6、成長について
1、次のハードル
何とか、妻の車での送り迎えで、学校に行けるようになりました。
この時点で、妻と私は、かなり“安堵”してました。
私たちは、このまま行けないと思っていた学校に、行けてるだけで、一安心だったのです。
何とか学校まで、行けるようになった中3娘ですが、次のハードルは“歩いての登校”でした。
妻の車での送り迎えなら、誰とも顔を合わせずに自習室まで行って、帰ってこれます。
歩いての登校だと、誰かと顔を合わせる可能性が、とても上がります。
娘は、まだ、誰とも顔を合わせていないので、どのような顔をしたら良いか分からないと言います。
娘の気持ちは、「もっともだ」ということで、みんなと同じ時間での登校ではなく、「今まで通り、時間をずらして、歩いて登校してみよう」ってことになりました。
考えすぎかもしれませんが、登下校の時間以外で、女子中学生が制服を着て1人で街を歩いていると、近所の方が、「学校どうしたんだろ?」って、思うかもしれません。
最初は、妻が、一緒に歩いて行くと、言ってました。
しかし、スクールカウンセラーが、「それは、お母さんの負担になる」と、スクールカウンセラーが、一緒に登下校してくれることになりました。
毎朝、自宅まで、来ていただけると言うのです😲
とても、申し訳ない気持ちでしたが、「大丈夫ですよ」とおっしゃっていただいたので、スクールカウンセラーに甘えることにしました。
この時も、スクールカウンセラーの対応は、とても手厚い対応でした。
2、復帰後、初めて歩いて登校する
私は、娘が、初めて歩いて登校していく日のことも、良く覚えています。
“歩いて登校してみよう”って決めた初日の朝。
娘は、今までとは違い、かなり緊張気味でした。
なかなか、朝の支度も進まなかったです。
気が重かったのでしょう。
約束通りの時間に、チャイムが鳴り、スクールカウンセラーが来ました。
まだ、娘は、用意ができていませんでした。
スクールカウンセラーが、娘の部屋まで、来ていただき、娘を励ましてくれました。
「私が、一緒に行くから大丈夫!」
スクールカウンセラーの顔を見て安心したのか、娘は、支度を済ませると、カバンを持って部屋から出てきました。
玄関で靴を履き、外に出ると、スクールカウンセラーと一緒にスタスタと足早に歩き出しました。
2人を見送っていた妻と私ですが、二人の背中が見えなくなるまでに、時間はかかりませんでした。
帰りも、みんなと下校時間をずらして、スクールカウンセラーと一緒に、無事に歩いて帰ってきました。
3、寝坊事件
スクールカウンセラーは、1学期が終わるまで、毎朝、自宅まで来ていただけました。
その中で、1度だけ、娘が、寝坊して、スクールカウンセラーを待たせてしまったことがあります。
この頃の妻と私は、娘に「あーしろ、こーしろ」と、命令や指図をするようなことは、言わなくなってました。
これは、娘に対して諦めて、娘を放置したとか、娘との関係が悪くなったわけではありません。
本人を信頼し、本人の自主性に任せることが一番だと思っていたのです。
その日の朝も、妻は、いつものように、寝ている娘を、起こしに行きました。
寝起きの悪い娘ですが、いつもなら、何回か起こしに行ったら、起きてきます。
ですが、その日は、何回声を掛けても、なかなか起きてきませんでした。
学校に行く、行かないは、本人とスクールカウンセラーが、前の日に決めるようになってました。
妻と私は、娘が起きてこないので、「今日は学校に行かないのかな?」と思い、起きてこない娘を、しつこくは起こしませんでした。
そしたら「ピンポーン!」って、朝のいつも時間に、スクールカウンセラーが来たのです!
妻は、びっくりして、慌てて娘を起こします。
娘は、慌てて制服を着ます。
スクールカウンセラーには、家に上がってもらい、準備できるまで、待ってていただきました。
スクールカウンセラーは、「慌てなくていいからね」と声を掛けてくださいます。
娘の用意ができると、いつものように二人でスタスタと歩いて学校に行きました。
その日以降、娘は変わりました。
娘は、1人で朝が起きれるようになり、妻が、娘を起こすことは、無くなりました。
4、スクールカウンセラーと一緒に登校して得た“学び”
スクールカウンセラーには、大変お世話になり、妻も娘も私も感謝しております。
娘は、スクールカウンセラーのことを、とても信頼していました。
そして、スクールカウンセラーのご好意で、毎朝、自分のために家に迎えに来てくださっていました。
そのご好意を裏切るような寝坊をしたことは、娘にとって、とてもショックだったようで、ご迷惑をお掛けたしたことを、娘なりにとても反省したようです。
この日以来、妻と私は、娘を起こすことは無くなりました。
自分で、時間に余裕を持って目覚ましをセットして起き、朝の支度をするようになりました。
中学校を卒業しても、朝は、起こすことなく、必ず自分で起きてきます。
私なんかは、社会人にから、家を出る26才頃まで、母親に起こされていました😅
5、遅刻も必要
親は、子供を保育園に通い出す頃から、起こします。
私は社会人になっても起こされてました……(苦笑)
親が、起こして学校に行かせるのは、本人の自立を邪魔してることに気付きました。
遅刻は良くないことですが、社会人になってから遅刻をするより、学校に通っているうちに遅刻を経験させて、本人が叱られ、恥ずかしい思いをして、親に頼ることなく起きて行けるようになることは、大事だと思いました。
中学生にでもなれば、それぐらいは、自分でできるようになります。
宿題もそうです。
親がいつまでも「宿題やった?」って聞くのは、自立の妨げになっているのかもしれません。
親が叱ってやらせると、そのうち親のために宿題をするようになります。
それでは、本人のためになりません。
宿題は、本人のためにするもので、親や先生のためにやるわけでは、ありません。
とは言え、毎日忘れていくのも考えものですので、子供が気づけるようにさりげなくフォローを入れるのが良いのかもしれませんね。
私たちは、何も言わないですが、娘たちは、宿題を忘れることはありません。
6、成長について
娘が、不登校になった時は、絶望しかありませんでした。。。
しかし、悪いことばかりではなく、親子にとって、多くのことを学ばせてくれました。
娘たちは、不登校を経験して、大きく成長しました。
不登校を経験しなければ、この成長は無かったと思います。
そして、私たち親も、たくさんの学びと気付きがありました。
特に、子供たちへの関り方は、激変しました。
私たち夫婦は、不登校になるまで、親の言うことを何でも聞く子が、良い子だと思ってました。
何でも、親が良いと思う選択肢を選らばせており、それが良いと思っていました。
しかし、それは、子供の自立を邪魔していただけでした。
娘が、不登校になり、親の私たちに教えてくれたのです。
学校に通わなくても、学べることはたくさんあるんだと、今回の寝坊事件で気付くことができました。
私たちの経験したことが、不登校で悩んでいる方たちの力や励みになると信じています。
読んでいただけた方の少しでも、力になれたらうれしいです。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
このブログは、天国にいる妻と、未来の娘に宛てた育児日記、生活の質、お金について(生活費、株投資)を主に書いています。
また、3人の娘が、同時に不登校で悩んでた時の、親としての苦悩や体験談も30記事、書きました。
不登校に悩んでいる方がみえたら、力になりたいので読んでみてください。
娘の不登校体験談の最初に記事は、こちら↓
→「【不登校1】中学生の娘が学校に行かなくなりました。その原因とは?」
私も、当時は、同じ悩みを持っている方の体験談などを、読ませていただき、前向きに頑張っている姿を想像し、励みになり、力になりました。
私も不登校で悩んでいる方の力や、励みになれれば、うれしいです。