【死別シングルファザーあるある】どうやって死にたいか考える

幸せになるヒント
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どーも気ままお父さんです!

7年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に10歳娘を1人で育てている50歳のシングルファザーです。

今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊

どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?

このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。

何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊

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【死別シングルファザーあるある】どうやって死にたいか考える

妻が亡くなり、7年半。

2才の娘も大きくなり、10才になった。

もう、小学4年生だ。

そして、僕は、今年で、50才になった。

人世100年時代とも言われていて、僕の人生は、半分を過ぎた。

いや、男性の平均年齢が、80才ぐらいだとすると、とっくに半分は、過ぎている。

とにかく、今まで生きてきた時間より、残りの人生は、短くなった。

人生は、どのように終わるのが良いのか?

みんなも、一度は、考えたことがあるでしょう。

「ぽっくり逝きたい。」と、良く言われるが、どうだろうか?

僕は、家で、ガンになった47才の妻を、最後まで、看取った。

妻に残された人生は、半年だった。

この残された時間が、僕の人生の考え方を大きく変えることになる。

妻のガンが分かったのは、8月の暑い日。

病院の主治医から、妻に直接電話で伝えられた。

ガンが、分かった時は、まだ、元気に動けていた。

2人とも、半年後に、死ぬなんて、実感が湧かないくらいだった。

ただ、やはり、病魔は、少しずつ。

本当に少しずつ。

日に日に、妻の体力を奪っていった。

少しずつ、動けなくなっていく妻。

ヤカンが持てなくなり、最後は、トイレに行けなくなった。

日に日に衰えていくのは、本人は、怖かっただろう。

僕も、怖かった。

それでも、妻は、僕なんかより、気丈だった。

僕は、妻のいないところで、ひとりで泣いていたが、覚悟を決めた妻は、最後まで、涙を見せなかった。

妻と僕は、天国に行く準備を始めた。

僕は、最初は、「縁起でもない。」と思ったが、妻のいなくなる未来が見えてくるにつれて、2人で、少しずつ妻のいなくなった後の準備を始めたんだ。

2人で、葬儀屋も決めた。

そこの互助会にも入った。

妻は、僕に家事のトレーニングをした。

そして、まだ、2才の娘の未来を、、、、、たくさん語り合った。。

治ると信じて、病気と闘いつつ、それでも、現実から目を背けずに、たくさんの未来を話した。

僕たちは、アナログ派だった。

今、思えば、もっと、妻の姿や、語っているところを、動画にでも、残しておけば良かった。

妻との出来事は、僕の、頭の中で、どんどん美化されながら、残っているだけだ。

役所に事情を話し、娘の保育園を急遽決めてもらい、入園。

安心したかのように、入園した次の日、妻は、天国に旅立ってしまった。

その後は、僕の見える景色は、一変し、その景色は、このブログに残してきている。

妻との、6ヶ月の闘病生活を通じて、僕は、死への考え方が、大きく変わった。

どんな死に方が良いか?

って、問われた時に、以前は、「ぽっくり」って思ってたが、妻のように、少し、時間を残こす死に方が、良いなって思うようになった。

ガンと言えど、急に、亡くなる訳ではない。

自分に残された時間が、分かる。

やっぱり、突然の死は、不幸だと思える。

事故や突然死などは、人生と、お別れの時間を残してくれないので、とても寂しい。

残された遺族にとっても、辛い。

だから、事故や、脳血管や、心臓などの突然の死は、とても、不幸に思える。

僕は、妻と、残された時間を、大切に過ごすことができた。

それは、とても、幸せなことだと、気付くことができた。

お互い、大事に思いやり、それでも、お互いの未来を案じながら、過ごした時間は、とても優しく、とても穏やかで、とても温かかった。

お別れが分かっているので、そりゃ、とても寂しいし、怖い。

気付くと、涙が流れてしまうほどに、寂しく怖い。

でも、人は、遅かれ、早かれ、いつか人生や、大切な人と、お別れする。

早いか、遅いかの違いだ。

妻は、47才だったので、早い方だ。

でも、これが、40年後の87才だったら、どうだったんだろう?

残された時間を、こんなに愛おしく、こんなに素晴らしく過ごせたのだろうか?

僕には、分からない。

少しお別れが、早かったかもしれないが、2人にとって、良い送り方、良い送られ方、良いお別れが、できたと思う。

妻を看取ったあと、僕も、残りの時間を知りたいと思うようになった。

ドラマや映画のように、地球に隕石が落ち、滅亡するなんてことも、想定できない。

日本で、残りの時間を半年前に知るには、病気になり、余命宣告を受けるのが、一般的だろう。

僕は、ガンになるのは、とても、怖かった。

ガンになりたくないと思い、人生を過ごしてきた。

僕は、ガンを恐れていた。

でも、妻が、ガンと闘ってくれたおかげで、漠然とした恐怖は無くなった。

ガンになると、どのような治療をして、どのような症状と向き合い、どのような生活になるか、分かっている。

だから、もう、怖くない。

それどころか、病気と向き合いながらも、自分の残りの人生を大切に過ごせる。

大切な人にも、きちんとお別れができる。

いつか死ぬなら、そのような死に方が、幸せではないかと思えるようになった。

今のように、元気で、いつ亡くなるのか分からない状況では、それが、できない。

長く生きて、認知症になっても、できない。

僕は、ほどほどに生き、ガンになり、残りん時間を大切に過ごし、きちんと人生を終わらせたい。

今は、それが、僕にとっての幸せな人生の終わらせ方だと思っている。

とは言え、早く人生を終わらせたいわけではない。

娘が、まだ、小学生なので、今、病気になっても、困る。

だけど、いつ、病気になっても、覚悟ができるようになった。

今、闘病されている方は、どうか、前向きに治療して欲しい。

僕と妻のように、自分や、大切な人が、ガンを宣告されて、途方に暮れている方もたくさんいると思う。

それでも、前向きに病気に向き合い、お互いに残された時間を、濃密に過ごし、お互いの理想の未来を語り合って欲しい。

逝く方は、穏やかに、そして、遺った方は、少し寂しくはなるが、大切な人が心の中に、ずっと生きていてくれる。

大切に過ごした時間は、少しあとになるが、そのうち、人生を豊かに過ごさせてくれる。

残された、辛くも、儚い、大切な人とのその時間。

どうか、大切に、お過ごせるよう祈っている。

最後まで、読んでくれて、ありがとう。