【死別シングルファザーあるある】娘のグリーフケアは?

幸せになるヒント
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どーも気ままお父さんです!

7年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に10歳娘を1人で育てている50歳のシングルファザーです。

今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊

どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?

このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。

何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊

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【死別シングルファザーあるある】娘のグリーフケアは?

妻は、8年前、病気で、亡くなった。

娘は、2才。

僕は、2才の娘が、大好きなお母さんを喪い、これからの生活を考えると、不憫でならなかった。

2才の娘が、自分の境遇を嘆いていたわけではない。

僕を含め、親戚、友人、みんな、勝手に、娘の未来を心配していた。

これから、保育園に通うようになれば、友達ができるだろう。

友達には、みんな、お母さんがいる。

友達は、悪気もなく、「お母さんいないの?」「どこ行ったの?」などと、娘に聞いてくるだろう。

新しい友達ができるたびに。

娘は、そう聞かれるたびに、グリーフを抱えるかもしれない。

「私には、お母さんがいない。。。」ってね。

「大変だね」とか、「かわいそうだね」と、勝手に想像され、さらにグリーフを抱える。

今思い返すと、当時の僕は、僕自身が、深いグリーフに包まれており、娘も、きっとずっとグリーフに包まれ生きていくんだろうと思っていた。

勝手に、妄想して、「ひとりでも、絶対に娘の笑顔を絶やさず、何不自由なく、何があっても守り、育てあげる!」と、強く思った。

大切な人を亡くしたのは、娘も一緒。

自分が、グリーフと向き合いながら、娘のグリーフケアをどうしていたか、書いてみたい。

実際は、娘から、グリーフを感じたことは、無かった。

僕の娘が、お母さんと不仲だったとか、娘が、特別に不感だったという訳では無い。

普通の子だ。

8年が経ち、10才になったが、ただ一度も、「お母さんがいない」と、嘆き悲しんでいるのを見たことがない。

そう。

2才だった娘には、「物心」がついてなく、お母さんが亡くなっても、何が起こったのか、分かっていなかった。

そして、そのまま10才になっている。

良いも悪いも、娘には、グリーフケアが必要なかった。

娘が、深いグリーフに包まれることが無かったので、自分のグリーフに集中できたし、当時の僕は、娘が、辛い想いしなくて、良かったと思っていた。

きっと、妻も、その時は、僕と、同じ気持ちだったかもしれない。

でも、娘が、年齢を重ねるたびに、僕の考え方は、少し変わった。

深い悲しみを乗り越えることは、人生にとって、マイナスなことばかりではない。

僕が、そうだ。

僕は、娘と逆で、妻が亡くなり、長い間、深いグリーフに包まれていた。

僕の心は、すごく長い真っ暗なトンネルの中を、どこに行って良いかも分からずに、手探りで歩いていた。

僕は、一生、このトンネルから、出られないと思った。

ずっとグリーフを、抱えて生きていくんだってね。

僕が、グリーフに包まれているうちは、「娘がこんな想いを抱えなくて良かった」と思っていた。

でも、今、僕から、グリーフは消えている。

逆に、グリーフを経験したことにより、僕の人生は、豊かになっている。

これは、妻が、最後に僕に教えてくれた「人生の気付き」だ。

妻は、天国に行ってしまって、話もできないし、触れることもできなくなった。

もっと、妻と、行ってみたかったところもたくさんあるし、妻と、娘の成長を見守りたかったし、老後は、妻と、助け合って、ゆっくり暮らしたかった。

その未来が無くなったことは、残念だ。

でも、今、僕の人生は、豊かになっている。

妻が、生きていた事実は、変わることはないし、妻の分も、僕は、自分の時間を大切にして、できることをしていきたいと思っている。

妻が元気な時は、ただ、小さなことに文句を言って、日々を過ごしていたように思う。

妻が、今も元気だったなら、きっと、何も変わらない、平凡な日々を過ごしていただろう。

それは、それで、幸せだったと思う。

でも、僕は、グリーフを経験することによって、得られる、「人生の気付き」があることを知った。

そのことに、気付くことによって、人生は、豊かになる。

僕は、そのように考えている。

だから、僕の人生が、いつまで続くか分からないが、これからも、豊かに暮らしていくことができると思う。

妻の死が、僕の人生を豊かにしてくれたんだと思っているから、妻には、感謝しかない。

娘は、まだ、小さくて、グリーフを経験しなかったから、妻の最後の教えを、知ることができなかった。

もちろん、僕から、娘に教えているが、自分で経験し、乗り越えてこそ、気付ける有難みだ。

僕から、伝えても、「分かった」と言うが、分かったふりをするだけで、心までは、響いていないと思う。

娘は、悲しく、辛い想いしなかったので、良かったが、人生を豊かにする気付きを得られるチャンスを逃したのは、惜しくも思う。

それは、今だから、言えること。

実際、娘にグリーフがあったら、自分自身のグリーフと向き合えたのか、分からない。

僕が、できることは、妻の死を通じて、得られた気付きを、これからも、娘に伝えていくこと。

僕は、グリーフを、悪いことだけとは、思っていない。

大切な故人が、未来を豊かにする気付きを教えてくれている、貴重な体験とも言える。

もし、今、大切な故人を喪って、深いグリーフの中にいたとしても、時間は、かかるかもしれないが、きっと、いつか、向き合えるようになる。

時間は、かかるかもしれないが、いつまで続いているか分からない暗いトンネルを、大切な故人と、手をつないで、歩いている感覚で、慌てず、一緒に出口を見つけて欲しい。

他の人から、色々アドバイスもされると思うが、自分で、歩いて、出口に向かうしかない。

どこの方向に歩いても、出口に辿りつける。

出口を出れば、今までとは、違った景色が、広がっている。

大切な故人と、自分を信じて、勇気を出して、一歩ずつ、でも、無理をせず、歩いてみて欲しい。

少しでも、励みになれば、うれしい。

最後まで、読んでくれて、ありがとうございました。