
どーも気ままお父さんです!
5年前に最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に7歳娘を1人で育てている47才のシングルファザーです。
今は、死別を受け入れ、娘と二人で、幸せと笑顔いっぱいに暮らしています😊
どのようにして、ツラい不安ばかりの日常を、楽しい日常に変えられたのか?
このブログには、死別の受け入れ方、老後のお金の不安解消法、家族の心温まるエピソードを残しています。
何か小さなことでも、当ブログが皆様のお役に立つことができたなら、うれしいです😊
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私は、長年、在宅介護の現場で働いていて、色々なご家族の介護の想いについて、勉強をさせていただきました。
そして、実際に自分自身が、妻の介護をすることになり、今まで、たくさんの方から得た学びを糧に、妻を家で看取ることができました。
その体験から、死の受け入れ方や、人生の最後の過ごし方、残された遺族の気持ちを教えてもらいました。
そのような経験を経て、「どのように死にたいか?」と聞かれると、やはり、妻のように病気になって死にたいと願っています。
事故や災害、突然死などは、心の準備も全くなく、突然死を迎えるのはなく、最後の時間を少しでもいただければ、幸せな死だと思うからです。
だからと言って、いつ死ぬか分からずに、何十年も生きていたいとは思いません。
やはり、最後は、死を受け入れて、死んでいくのが、私にとっての幸せな最後だと思います。
死を受け入れて、人生を終わらせようと思うと、私は、最後は、病気を患うのが良いと思っています。
「がんになりたくない」と、みんながんを恐れていますが、私は、どうせ死ぬなら、事故や老衰より、がんが良いかなって思っています。
良い意味で諦めがつくからです。
がんになれば、だいたいの余命が分かり、死というものを実感することができます。
妻がそうでした。
妻も、病気になり、初めて死を実感しました。
私たちは、少し時間がかかりましたが、死を受け入れることができました。
それからの時間は、まるで、神さまが与えてくれた時間のように輝き出し、暖かで、幸せな日々を過ごすことができました。
死を受け入れることができたからこそ、私たちの残された日々が、とても輝いたものになったのです。
あの残された時間は、今思い出しても輝きは曇ることも無く、私の人生の宝物になってます。
妻は天国に行ってしまいましたが、残された私は、妻と一緒に作り出した宝のような時間のおかげで、悲観することなく、いつも温かな幸せの中、今を暮らすことができています。
死別を経験し、残されたからこそ、分かることがありました。
私の体験と、今の死に対する気持ちを書いてみたいと思います。
この記事が、今、病気で闘っている方の励みや力や勇気や思い出作りのきっかけになればうれしく思います。
目次
1,はじめに
2,もし、ガンと宣告され余命を伝えられたらどうするか?
3,遺品は、整理しない方が良い?
4,長生きしたいと思うか?
5,さいごに
きっと、告知されても積極的な治療は、しないでしょう。
ガンの積極的な治療は、ガンをやっつけるためには、良いかもしれませんが、ガン以外の健康な場所にまでダメージを大きく与えてしまいます。
1日でも長く生きること望むのであれば、積極的な治療も良いと思います。
しかし、私は、様々な経験から、余命の宣告を受けたら、積極的な治療は止め、残りの人生を、少しでも元気に過ごしたいと思うようになりました。
抗がん剤の治療は、副作用も大きく、体調もかなり悪くなり食欲も無くなります。
抗がん剤の副作用で、どこにも行く元気や食欲が無くなるのであれば、痛みを薬でやわらげて、自由に行きたい場所に行き、好きな物を食べたいと思うのです。
「家族のために、必死に生きようとしない態度はどうか?」と思われるかもしれませんが、残る家族を想うからこそ、私は、病気になっても、病気を治すことに執着するのではなく、最後まで家族一緒に「自分らしく今を生きたい」です。
妻から、教えてもらった勇気であり、教訓でもあります。
抗がん剤の選択肢もありましたが、妻と相談し、抗がん剤を使わない治療をすることに決めました。
妻は、怖かったと思いますが、最後まで元気に好きな物を食べたいと言うのが、一番の理由でした。
ガンも進行し、痛みがひどくなってくると、主治医から「緩和ケア」を勧められました。
最初は、妻も私も「そんなところ行っても無駄」と思いましたが、実際に緩和ケアの先生から、説明を受けると心が救われる気がしました。
「痛み止めの薬は、がまんせずに痛かったら飲みましょう。」
そこからの闘病生活は、痛みを取ることに意識しました。
妻は、亡くなる前日まで、美味しくお肉を食べ、亡くなる4日前までお風呂に入り、亡くなる前日まで、自分でトイレに行くことができました。
抗がん剤を使っていたら、どうなっていたかは分かりませんが、最後まで、妻は自分の希望通り生きることができました。
妻の勇気ある闘病生活は、私に勇気を与えてくれ、病気や死に対しての恐怖心を和らげてくれました。
ある程度は、娘に残して死んでいきたいと思っています。
妻が、亡くなる前までは、「残った家族の迷惑にならないように、自分の物は、きれいさっぱり処分して死にたい。」と思っていましたが、それは、本当にお節介なことだと分かりました。
死んだ後に、きれいさっぱりと何も無かったら、残された家族は、何もすることが無くて、悲しみだけと向き合わなければならなくなります。
多少、家族が亡くなったら、やることがあった方が、少しの間だけでも、悲しみを忘れられるので良いです。
私は、妻が残してくれた物を整理することで、妻のことを思い出し、妻を喪った悲しみと、ほどよく向き合うことができたと思います。
妻を喪い、遺品の整理も、残った家族にとって、死別を受け入れるのに必要なことだと分かりました。
なので、私は、自分の物を少し残して娘に整理してもらおうと思っています。
「お父さん、こんなものまで残して、ガラクタじゃん!」って、文句を言われながらも、ひとり残された娘が、遺品を整理することによって、気持ちの整理もできれば良いなと願います。
お墓も、お仏壇も、家も残そうかと思います。
お墓がほったらかしで、問題になっているとニュースで聞いたことがありますが、娘に想いだけ伝えて、私が建てた妻のお墓を、処分するもしないも娘が決められるようにしておくのです。
家族と死別した寂しさは、本当に亡くした後じゃないと、実感ができず、どのような気持ちになるか分からないのです。
私も妻が亡くなった後に、毎日、仏壇に手を合わせ、お経を読み上げ、写真に向かい「ありがとう」と言い、毎月、月命日にお墓参りするなんて、思ってもいませんでした。
宗教や決め事がある訳ではありません。
私が、妻の供養にしたいので、そうしているのです。
なので、娘がどのような供養をするのかは、私が、死んだあとでないと、本人も分からないと思うのです。
娘が、いつでも、私を思い出した時に、自由に供養できるよう、お墓やお仏壇は、残して死にたいと思います。
そう長生きは、望んでいません。
妻が、生きているうちは、「妻を看取るまでは死ねない」と思ってましたが、こんなに早く看取るとは思いもしてませんでした。
今は、娘の家族は私だけなので、「娘が、家族を持つまでは、生きていたい」と思っています。
娘が、自分の家族を作る前に、私が死んでしまったら、娘は、ひとりぼっちになってしまいます。
2才から、私と2人で仲良く暮らしてきたのです。
おそくら、これからも、2人で何でも協力して、暮らしていくのでしょう。
そんな暮らしの中、娘が家族を作る前に、私を喪ってしまったら、娘には、すごく辛く、その後の人生に、抱えきれないほどの悲しみを残してしまうでしょう。
それだけは、親心として避けてやりたいです。
なので、娘が、結婚して、家を出て行き、自分の守るべき家族ができるまでは、生きなければならないと思っています。
家族がいれば、ひとりばっちになることも無いでしょう。
しかし、娘が結婚し、家族ができた後は、どうかと聞かれると、それほど長生きをしたいとは思わなくなりました。
早く死にたいと思っている訳ではありませんが、元気に娘の結婚を見送ったら、いつ死んで良い覚悟だけはしておこうかと思います。
そして、突然死ぬのではなく、病気になり、少し娘との最後の時間をいただければ、それで良いです。
娘に伝える最後の言葉も、「生まれてきてくれてありがとう」だと思います。
今までも、たまに伝えています。
娘のおかげで、最愛の妻を亡くしても、こうやって楽しく笑って過ごせるのは、娘がいるからに他なりません。
妻が、病気になってから、私に言ってくれた言葉があります。
妻「こんな体が不自由になっても生きていられるのは、あなたのおかげだ😊一緒にいてくれて、ありがとう。私は幸せ者だ😊」
この言葉は、宝物のように、私の心の中で輝き続けてくれ、そして、失うことはありません。
もう妻も亡くなっているので、私が何をしても、撤回されることもありません😅
ずっと、残り続ける言葉になります。
私も、最後は、娘に「お父さんは、あなたがいるだけで、幸せに生きてこれた😊お父さんとお母さんのところに生まれてきて、ありがとう😊」と何度も笑って伝え、死んでいきたいと思います。
そして、最後は、積極的な治療を選択するのではなく、例え、少し早く力尽きるとしても、最後まで自分らしく生きていける治療を選択したいと思っています。
頑張って闘病されている方、またご家族の方には、心中お察しします。
この記事は、闘病を否定するものでも、人生を諦めるものでも、ありません。
1日でも一緒にいたいと、家族のために病気と闘っておられる方の気持ちも、十分、分かっているつもりです。
妻も、私たちのために、病気と一生懸命に最後まで闘ってくれました。
最後は、あまりに痛がるので、見てられなくて、「娘は、大丈夫!任せて!絶対に幸せする!きちんと育てる!僕らは、大丈夫!だから、、だから、、いつでも楽になってもいいからね。。。」と、痛みに耐える妻に、伝えました。
それは、我々にとって、悲観的な言葉ではなく、妻も私の真意が分かっていて、「私は、大丈夫だよ😊」って、最後まで立ち上がり、トイレに頑張って歩いて行ったのです。
私は、妻から勇気をもらいました。
私も、妻のように、妻の分も、最後まで、自分らしく生きたいと思えました。
闘病においては、辛く、不安なことも多いいと思います。
また、支えている家族の皆様も、同じように不安に思い日々を送られていると思います。
病気が、快方に向かうことを心よりお祈りさせていただきます。
この記事が、少しでも励みになれば幸いです。