妻を亡くしたシングルファザーが職場で隠している想い

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幸せになるヒント

 

どーも気ままお父さんです!

最愛の妻を病気で亡くしました😢
「妻の想い」と「娘の笑顔」を大事に5歳娘を1人で育てているシングルファザーです。

天国の妻と未来の娘に宛てた日記や生活の質に関することを書いてます。

皆様のお役に立てれば幸いです😊

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【妻を亡くしたシングルファザーが職場で隠している想い】

☆目次☆
1、はじめに
2、妻が天国に旅立ち、仕事復帰までに考えたこと
3、職場復帰後に意識してること
4、職場での悩みはないのか?
5、死別シングルファザーとして想うこと

 

1、はじめに

4年前に妻にガンが見つかり、半年の闘病の末に亡くなり、2才の娘を1人で育てるシングルファザーとなりました。

1人で子育てするようになり、3年が経つことになります。

最初は、バタバタと生活をしておりましたが、周りの方々に、支えられて、今は、私も娘も健康で、落ち着いて生活ができております。

近所ではありませんが、協力してくれる家族には、感謝しかありません。

理解のある仕事の仲間にも感謝しております。

しかし、職場では、ずっと気を遣っていることがあります。

今回は、ひそかにシングルファザーが職場で抱いている想いを書いてみたいと思います。

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2、妻が天国に旅立ち、仕事復帰までに考えたこと

妻がこの世を去り、職場には2週間のお休みをいただきました。

闘病の末のお別れだったので、覚悟はしていたのですが、いざこの世から妻がいなくなったと思うとややパニックになっていたように思います。

その2週間というお休みは、気持ちを整理するには丁度良い時間だったように思います。

時間の経過とともに少しずつ仕事のことも考えれるようになりました。

就職してから仕事を2週間も休んだことが無かったので、最初に職場へ顔を出すのは、少し怖かったのを覚えています。

「みんな、私のことをどのように思っているのだろう?」

「不幸である私を、ハレモノを触るような感じで接してくるだろうか?」

「上司は、あからさまに嫌な顔をするのではないか?」

など、あの時は、ネガティブな感情がありましたね。

どの面下げて職場に行けば良いか、分からなかったです😅

相談する相手はいつも妻だったので、相談する相手もいませんでした。

今でもそうですが、妻の遺影に話しかけて相談してました。

「どうしたら良い?」

妻ならこうするだろうと、みんなに行きわたるよう小袋になっている“少し程度の良い和風のお菓子”を買って、復帰直前に一度、顔を見せに行くことにしました。

しんみりするとみんなが気を遣うと思ったので、笑顔で元気よく、いつも通りを心がけて、顔を見せに行こうと思いました。

職場に着くと、娘を抱っこして、玄関の前で止まります。

いつも何も考えずに通る玄関ドアが、妙に重く感じました。

みんなと、顔を合わせるまで、緊張していましたが、思い切ってドアを開けて挨拶すると、みんなも普段通り、何も変わらずに迎えてくれたので、ホッと安心しました。

職場のお姉さま方は、人見知り真っ盛りだった娘に「かわいい~」と机やカバンの中からお菓子を取り出し小さな手に持たせてくれました。

みんなには、葬儀に来てくれたお礼と仕事で迷惑をかけたお詫びを伝え、上司にも、少し時間をいただけ、月曜日から通常通り仕事に復帰できる旨を伝えました。

みんなの反応は、良い意味で“普段通り”で接してくれたので、復帰当日は、何事も無かったように出勤することができました。

1人で2週間、家にいて、ネガティブに考えすぎていたようです😅

それから、無事に復帰し、私は、しばらくは“何事もなかったように”仕事をするように心がけ現在に至ります。

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3、職場復帰後に意識してること

働き方は、変わりました。

今までしていた残業は、「しない」と決め、有休は全て取るようにしました。

今まで仕事をしていた時間は、すべて娘に使おうと決めたのです。

職場のみんなは、何も言わずに、何事も無かったように受け入れてくれています。

仕事の量が減る訳ではないので、効率を上げてとにかく早く帰れるように工夫をしてきました。

それを3年間、今でも続けているような感じです。

意識していることは、雑談の内容です。

職場では、“妻がいない寂しさ”“1人での家事育児の不安さや大変さ”などは、一切口に出せていません。

このように書くと“何でも話せる人はいないのか?”と思われるかもしれませんが、やはりみんなには気を遣って欲しくはないのです。

私が、疲れている顔を見せたり、暗い顔していたり、1人での子育ては大変だアピールをしたら、みんなが気を遣ってお互い働きづらくなると思います。

考えすぎかもしれませんが、そう思うのです。

それと、みんなも自分の家庭の、「旦那さんの文句」や「子供の愚痴」、「家族のエピソード」など、気軽に話題にして欲しいです。

最初は、みんなの幸せそうな家族の話を聞くのは、辛いかと思いましたが、私は、そんなことはありませんでした。

妻と一緒に築いた幸せな家庭は、妻がいなくなったら“消える”と思って恐怖でしたが、不思議なことに妻との幸せな家庭は現在も続いているのです。

「幸せって消えないんだ」と言うのは、妻がいなくなってから学んだことの1つです。

なので、私も、新しくチャレンジした料理のレシピの話をしたり、娘の可愛い自慢をしたりと、明るい話題の提供に努めています。

みんなも、気軽に自分の家族の話をしてくれるので、職場は以前と変わらず、明るい話題が多いです。

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4、職場での悩みはないのか?

妻が天国に行き、3年が経過しましたが、今のところ仕事や職場での大きな悩みはありません。

自分で言うのも何ですが、どちらかと言うと向上心はある方なので、出世願望が無いと言ったらウソになります。

でも、「出世は諦めました。」

「諦めた」と言うと、妻がいなくなったせいになるようで妻に申し訳ないか。

「出世を捨てた。」と言う方が、しっくりくるかもしれません。

妻が元気だった頃は、私は、会社での評価を気にするような働き方をしてました。

今思えば、自分を良く見せようと努力していたように思います。

ある程度は評価され、現在でも一つの小さな部署を任されているので、サラリーマンとしては、評価を気にして働くのは悪いことではないと思っています。

でも、今は、真逆な考え方になってしまいました。

かっこよく言うと「自分のやるべきことだけをやる。」と言ったところでしょうか?

自分の評価のためにするのではなく、自分がすべきことをして、余分なことはしないようになりました。

会社にも評価していただき、この3年間で一度「出世」のお話もいただきましたが、部署の異動が伴ったので、即「お断り」させていただきました。

「出世を捨てる」と書いたのは、ネガティブに諦めたのではなく、「仕事が第一優先ではない。」ことを自分でポジティブに決めたのです。

私は、仕事より娘との時間の方が、はるかに大事だと気付いたのです。

その時のエピソードと心境はこちらに書いてあるので興味があれば読んでみてください。↓

気ままお父さん出世を断る【生活の質を考える】

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5、死別シングルファザーとして想うこと

私たち夫婦は、幸運でした。

妻と私に、きちんと残された時間があったからです。

たしかに、妻は、まだ若く天国に行くには少し早かったかもしれません。

でも、人生は長い、短いということで、良し悪しが決まる訳ではない、と言うことは、妻が教えてくれました。

妻は、立派にやることをやって、天国に旅立てっていったのです。

病気が発覚し、6か月ほどでしたが、妻とは、死についてや、幸せのことなど、たくさん考え過ごしました。

そして、我々夫婦は、幸運で、幸せだと言うことに気付いたのです。

仕事に関して、「職場に幸せは落ちていない」ということは、妻と闘病中に発見したことの1つです。

仕事は、社会で生活するうえで必要で、やりがいや自己成長、社会貢献など幸せがありそうな気がします。

でも、私たちの結論は違いました。

幸せは家にこそたくさん落ちてます。

いつも過ごしている家の至るところに落ちているんですよ。

妻との何気ない会話。

妻と一緒に食べる食事。

妻と一緒に観るテレビ。

妻と一緒に頑張った闘病生活の思い出。

妻とアホなことして笑ったリビング。

妻と色々なことを話した食卓テーブル。

今でも、たくさん落ちてます。

妻が私に残してくれた幸せは、今も私を幸せにしてくれてます。

妻と私は、残り6か月で病気と闘いながら、人からの評価を気にする人生から、自分たちのための人生を過ごしました。

支えてくれる人がたくさんいて、励ましてくれる人がたくさんいて、心の底から人に感謝することを覚えました。

妻は、みんなより少し早く天国に行きましたが、決して不幸ではありませんでした。

妻の心残りである娘は、私が妻の想いをきちんと受け継ぎ、妻の分まで愛情を注いで育てあげます。

その娘が、生きている限り、妻は生き続けると思います。

妻は、それで満足だと思いますし、私もそれで良いと思ってます。

妻が元気な頃は、職場にそうような幸せは落ちてはいないのに、たくさんの時間を仕事をして過ごしてしまいました。

もちろん仕事はきちんとしたいですし、社会のために役に立ちたいと思ってます。

それを実現するには、まずは、自分や家族を大切にしてからだと気付きました。

私たちに残された6か月の時間が無かったら、危うく後悔の残る人生になるところでした。

なので、私たちにとって、大切なことに気付き、6か月を自分たちのために過ごせたのは、とても幸運だったと思うのです。

いつも側にいる大切な方が、当たり前に明日も側にいるとは限りません。

「6か月後に死ぬと分かっていたら、何をしたいか?」

妻との学びを忘れないように、いつも自分に問いかけるようになった質問です。

私は、今はまだ、このようなしんみりとした話は、職場では話すことはできません。

こっそりとここでお話させていただければと思いました。

皆さんの近くにも同じような境遇の方がいましたら、何もしなくても良いので、心の中だけは、応援してあげて欲しいと思います。

明るくしている人こそ、不安やさみしさを隠し、みんなの前では、少し頑張って笑顔になっているかもしれません。

皆さんの笑顔が少しでも増えれば良いと願っています。

最後まで読んでいただきありがとうござました。

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