適応指導教室からの復帰失敗談【不登校21】

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どーも気ままお父さんです。
不登校になる原因は様々です。

私の3人娘は全員不登校になりました。
原因は3人とも違います。

親としてどうしたら良いか悩み苦しみ色々な方の協力や励ましで復帰に向けて前向きに行動できました。

不登校で悩む方々の力や励みになりたいと思います。

今日は適応指導教室に通う中2娘の学校復帰への失敗談から何を学んだか書きたいと思います。


目次

  1. 復帰に向けて必要なこと。
  2. 不登校になった原因は様々。
  3. 適応指導教室からの復帰支援失敗。
  4. 失敗の原因
  5. 学んだこと。


1.復帰に向けて必要なこと。

親は誰でも子供が不登校になると将来が心配になります。
最初は「学校に行きなさい!」となるでしょう。

しかし、それでも学校に行かない子供を見てると「行かない」ではなく「行けない」というのが分かり、色々悩み調べていくにつれて親からの「学校に行きなさい」はNGワードだと知ります。

復帰に向けて大事なのは「本人の気持ち」です。
学校に行くのは親ではありません。本人です。
子供によって不登校になる原因は様々です。

しかし、復帰に必要なことは共通しています。
「安心して暮らせる」ことです。

自分の居場所があるから人間は外に出て頑張れます。

なので、まずは家にいて「安心して暮らせる」と実感することが復帰に必要な第一歩です。

なので、親ができることは子供が安心して暮らせる環境を提供することなのです。

それは一般常識とは少し違います。
あくまで「自分の子供」が安心して暮らせることが大事になってきます。

なので、子供にとって親の「学校に行って欲しい」という願いはときによっては子供のプレッシャーになり安心して暮らせないので「学校に行きなさい」はNGワードになります。


2.不登校になった原因は様々。

不登校になる原因は子供によって違います。

うちの3人娘の原因は

         中学校の体育大会が嫌だった。

  • 真ん中
         友達とのトラブル

         小学校で話ができない


3人姉妹だけでも原因は様々でした。

なので、復帰に向けては不登校になった原因も解決してあげなくてはなりません。


3.適応指導教室からの復帰支援。

真ん中の娘は中2で復帰に向けて適応指導教室に通い始めました。
通った期間は5月から8月まで。

車での送り迎えだったのですがほぼ毎日通うことができこのまま学校へと思っていたのですが復帰は失敗に終わりました。


4.失敗の原因

考えた失敗の理由は3点
・焦り過ぎた
・本人の問題を解決できていなかった
・帰る場所を失った
・本人の意思を尊重し過ぎた

一番の原因は焦りすぎたことでした。
普通に適応指導教室に通えるようになったので本人も自信がつきました。
様子を見ていた妻と私も「行けるかも」ってここが親の支援するタイミングだとなってしまいました。

復帰は前述の通り原因を解決してあげなくては復帰後にまた戻ってきてしまいます。
真ん中の娘の原因は「友達とのトラブル」でした。
引っ越しして環境も変わっていたので妻と私も「大丈夫」と判断してしまいました。
しかし、「友達とのトラブル」は原因ではなくきっかけであってほんとの原因は「自分に自信が持てない」だったのでこれが解決できていませんでした。

帰る場所を失ったというのは、夏休みが明けて9月から復帰すると宣言し、8月半ばに適応指導教室には妻と娘と菓子折を持って「お世話になりました」と挨拶にまで行ってしまいました。
それは、妻と娘が相談し退路を絶ち是が非でも学校に行くんだという意気込みでした。
なので、そんな宣言までして挨拶にいき失敗しましたと戻りずらくなってしまい戻れなくなりました。

本人の意思を尊重するのはもちろん大事です。
本人は夏休みに入り少し通えた適応指導教室に自信を持ちました。
そこからの復帰計画は9月に学校に行き様子を見て教室に復帰するというものでしたが本人が大丈夫というので二日目には一人で登校し教室に入ってしまいました。

もう一回頑張って行きましたがかなり疲れたのか何かあった訳ではありませんが行けなくなってしまいました。


5.学んだこと。

妻と私は姉と妹が何とか復帰できたので大丈夫かなと慢心していたのかもしれません。
慎重さを完全に失ってました。

焦り過ぎは禁物です。

親のできることは背中を押すタイミングとブレーキを掛けてあげることです。
これは非常に難しいです。
良く本人を見てないと分かりません。
妻と私にはブレーキを掛けてあげることができませんでした。

そして、何より本人の問題を完全に解決していなかったことこそが失敗の原因でした。

適応指導教室まで車で送り迎えをしていたのは誰にも顔を合わせたくなかったからです。
引っ越しして誰も自分の顔を知らないのに見られたくないのです。
それぐらい自分に自信を失ってました。
そして、突然中学校には一人で行くと言い出したのも一人だけ車で送り迎えしてもらっていたらどういう目で見られるかわからないという理由でした。
それぐらい自分や自分の行動に自信が持てずにいました。

それでは学校でも自分の意思を相手に伝えることができずにどんどん疲弊していってしまいます。
ただでさえ病み上がりでは耐えることはできません。

冷静に考えれば分かるのですが当時の我々には考えることができませんでした。

学んだことは
・本人の問題をまずは解決
・解決できずともそれに合わせた復帰支援計画が、必要
・焦らない

この3点です。
復帰となるとどうしても焦ります。
なので、復帰の時期かなと思ったらまずは本人の問題がどれだけ解決しているのか分析します。
全て解決してなくても良いです。
ただそれに合った復帰計画が必要です。
ゆっくりでいいので本人の気持ちも尊重しつつ自分のペースでいこうと励ましてください。

そして、とにかく焦りは禁物で学校に復帰するのが目的ではなくその先ずっと通えるようにしてあげなくてはなりません。

また、チャンスは来るので大丈夫です。
焦らずじっくり取り組んでいます。


この体験談が不登校に悩む方々の力や励みになればうれしいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

不登校体験談
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