シングルファザーと娘のイヤイヤ期エピソード【シンパパと娘の物語5】

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シングルファザーが、天国の妻に宛てた手紙たち<不定期>

 

どーも気ままお父さんです!

最愛の妻が病気で亡くなりました😢
妻の想いを繋ぎ5歳娘を1人で
育てているシングルファザーです。

家事育児、生活の質が上がったこと
紹介しています。

応援よろしくお願いします。

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今は5才になった愛娘にも3才のイヤイヤ期
がきちんとありました。。。

今考えると

良く付き合っていられたなぁ

と自分でほめてやりたいです。

 

イヤイヤ期のエピソードをまとめて
みました。

温かい目で読んでいただけるとうれしい
です。

目次(クリックするとジャンプします)
1、イヤイヤ期の到来
2、朝の準備 恐怖のボタン編
3、家に帰れない1 保育園編
4、家に帰れない2 パンダ探し編
5、まとめ

 


1、イヤイヤ期の到来


妻が他界したのが、2月。

娘はまだ2歳。

誕生日は6月なのでもうすぐ3才の頃。

徐々にイヤイヤが出てきていました。

何でも自分でしたい。

少しずつできることが増える。

私もほめる。

娘は喜びまた新しいことにチャレンジする。

うまくいかないと泣く。

泣き叫ぶ。。。

分かっています。

第1反抗期です。

親はたくさん色んなことにチャレンジさせて
失敗しても受け入れてできたらほめる。

分かっているけど、1人で娘の相手を

していると他のことが進まずにとても

大変でした。。

今、あの時、耐えに耐えた結果、5才の娘は
大きく成長できています。

当時は大変でしたが良い思い出になって
いるので書き残したいと思います。


2、朝の準備 恐怖のボタン編


今でもそうですが、朝は娘のやる気を
出させるのに一苦労します。

グズると終わりです。。。

会社に遅刻します。

なので、準備を進めるため、寝起きから
慎重に起こします。

3才ぐらいの時は、自分の感情が

コントロールできないので、

一度グズるとなかなか機嫌が
良くなりません。

娘が、グズるポイントは決まってます。

やりたいことをやらせてあげないと
気に入らなくて怒ってグズります。

朝は時間が限られているので、一度グズると
泣き叫ぶ娘を無理矢理抱えて出て行くこと
になります。

3才の頃は、娘を起こすとだいたい

機嫌が悪かったです

なので、起こしたらまずは抱っこして
機嫌を取ってました。

部屋に数か所配置されているぬいぐるみさん
たちに抱っこして挨拶しにいきます。

抱っこの仕方は「普通の抱っこ」

「お姫様抱っこ」「おんぶ」の3種類。

その日の気分によって娘が決めます。

そんな風に機嫌を取りながら時間を気にして
準備を進めていました。

着替えも自分でやりたがります。

前後ろが反対でも、指摘するとグズるので
機嫌を見計らって直します。

少しずつできることも増えていくと、やりたい
ことも増えていきます。

一番困ったのはボタンです。

娘の服にボタンは無いのですが、私のワイシャツ
とズボンのボタンをはめると言い出しました。

私の着替える時間は家を出る前です。

ほとんど時間もなく慌てて着替えるのですが、

「ボタン!」って寄ってくるようになった
のです。

ズボンのボタンはまだ大きいので何とか
はめることができますが、ワイシャツの
ボタンは小さくて難しくて時間がかかります。

見つからないように隠れて着替えても、
「やりたい!」ってグズリ出し、最初から
全部ボタンを取ってやり直しになります。

ボタンをはめている時は私も他のことが
できません。

ジッとボタンがはまるのを見ているしか
ないです。

ギリギリまで耐えて出掛ける時間になったら
泣こうが叫ぼうが途中で止めて出掛けちゃいます。

車の中でギャン泣きです。。

4才近くまでボタンをはめてもらっていたので
ボタンに関してはかなり上手にはめることが
できるようになりました(笑)

自分の首元の見えないボタンも自分ではめる
ことができます。

 


3、家に帰れない1 保育園編


朝の準備も私の思い通りにはならないの
ですが、帰りは時間があります。

エンドレス。。。

困ったことは2つで、1つ目は保育園です。

迎えに行くと荷物をまとめて帰るだけなの
ですが、これがなかなか帰りまテン。

あの手この手で保育園に残ろうとしてきます。

まずは教室から出るのが一苦労。

3才頃は“猫のマネ”が流行っておりました。

私が、手をグーにして、

「ねずみだぞ!ねずみだぞ!」って手を
動かすと、

娘「ニャンニャン」と猫パンチを繰り出して
きます。

保育園に迎えに行くと、「ねずみだぞ!」

が気の済むまで延々と続きます。

その間にお友達がくると一緒に部屋中を
駆け回り遊んでお友達はすぐに帰って
しまうのですが娘は部屋からなかなか
出ようとしません。

長いときで1時間。。。

7時まで保育園にいました。。

長かったぁ~

部屋から出たら一通り運動場の遊具で遊び
たがります。

すべり台、ブランコ、鉄棒。。

気の済むまで延々とやってます。。

保育園は良いのか悪いのか放置です。

保育園にはお友達はもう帰って

誰もいません。

いつも最後です。。

ほんとは早く帰ってごはん作ってお風呂
入って寝かせたいのです。

朝の準備が進まないからです。

夜早く寝ないと睡眠が足りずに次の朝の
寝起きが悪くなり朝の準備が進みません。

この頃は寝るのも遅く、朝の機嫌も悪く
負のループで困りました。。


4、家に帰れない2 パンダ探し編


保育園を脱出しても玄関になかなか辿り
つけませんでした。

近所は、通学路もあり、交差点の手前には
道路に歩行者用の「止まれ」が貼ってあり
ます。

その道路に貼ってある止まれには、パンダが
右、左とキョロキョロしている絵が描いて
あります。

毎晩そのパンダを探しに行く言うのです。

名付けて“パンダ探し”。

保育園を脱出して家に着き、車を降りて
から抱っこして玄関に向かおうとすると
家と逆の方を指差し

「あっち」と指示してきます。

夜の7時過ぎにパンダ探しの始まりです。。

「パンダさーん!パンダさーん!」

娘は大きな声でパンダを呼びながら私は
抱っこして近所を歩きます。

ちなみに私が「パンダさーん」って呼ぼう
とすると口を全力でふさいでくるので、
娘だけが「パンダさーん!」と叫びます。

パンダの所までくると

「あっ!パンダさんいた!」

パンダに向かって

「パンダさん!バイバイ」って手を振ります。

そして次のパンダへ。

毎日4か所のパンダに手を振りに行きます。

パンダ探しが終了し玄関を開けるのは
だいたい7時半です。

そこから私は猛ダッシュで寝る

準備に取り掛かります。。


5、まとめ


今考えると良くやっていたなぁと
感心します(笑)

イヤイヤ期は、4才頃になるとおさまってきました。

3才はほんとまさに“魔の三歳児”でした。

家ではとにかく気に入らないので泣いて
ましたね(笑)

お風呂でも泣き叫んでましたし、近所では
きっと虐待をうわさされていたかもしれ
ません。。。(笑)

反抗期だとは分かっていたので、やりたい
ようにやらせてジッと耐えてました。

遅くても、とにかくやらせて、早く上手に
できるようになるのを待つ。

ボタンやファスナーも最初は

遅いですが、そのうち早くなります。

しかし、分かっていても、イライラすることが
多かった時期でしたね。

3才の娘は、ようやく連続して2~3語の
言葉をつなげてコミュニケーションが
取れるようになっていた頃です。

「あっち、行く」とか「パジャマ、着て」
とか、多くて「パンダ、探しに、行く」
でした。

それでもきちんとして欲しいことや

困っていることは泣いているときに

言葉で説明するようにしてました。

時間が無くなりどうしても待てないときに
娘はやりたいようにできず泣き叫ぶのですが

「お父さんはごはんを作りたいから家に
 早く帰りたいんだよ。」とか

「ボタンを早くはめてくれないと遅刻する
 から困るんだよ」とか

きちんと何回も説明してました。

いつからか

「お父さんなんで困っているか分かる?」

って聞くと

「早くごはん作りたいから?」

ってわかるようになってきて、気持ちの
整理のつけ方が上手になってくると
やりたいことばかりやるのではなく、考えて
行動できるようになってきました。

4才になったら見違えるように考えて行動が
できるようなりとても楽になりました。

保育園は遊ばずにさっさと帰れるように
なりましたし、パンダ探しもしていません。

娘がパンダ探しに行くと言わなく

なったので最後のパンダ探しは私から

「行く?」って誘って行きました(笑)

良い思い出です(笑)

妻がいない分、娘には寂しい思いをさせて
いるかもしれません。

できる限りのことをしてあげたいと思って
イヤイヤもできる限り見守りました。

娘が泣いてばかり過ごした3才イヤイヤ期は

このままでいいのかな?

って、少し不安に思ったりもしましたが、色々な
方のエピソードを参考に私なりにイヤイヤ期
を乗り越えることができました。

この反抗期が娘にどのような影響を与えた
のか分かりません。

親と言う漢字は「木の上に立って見る」と
書きます。

昔に作られた文字で現代の子育てに合うのか
分かりませんが、危険なこと以外は、私が
簡単に口や手を出すのではなく、娘がやりたい
と言うことは失敗させてでも黙って見守ろう
と心がけています。

この文章を書いていて娘はとても成長した
と思い涙が出てきます。

これからも1人で育てていくには困難が
たくさんあるかもしれませんが、周りの方の
協力や皆さんの応援があって乗り越えていく
ことができます。

感謝しかないです。

ありがとうございます。

これからも皆さんへの感謝を忘れずに育児を
頑張っていきたいと思います。

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最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

このブログでは、家事育児が初心者である
お父さんと娘との奮闘記、妻とのこと、
私が実生活で取り入れて、生活の質が
向上したことなどを主に書いています。

また、3人の娘が同時に不登校で悩んでた
時の親としての苦悩や体験談も30記事
書いてあります。

不登校に悩んでいる方がみえたら
力になりたいので読んでみてください。
不登校1

私も同じ悩みを持っている方の体験談などを
読ませていただき前向きに頑張っている姿を
想像し励みになり力になりました。

私も不登校で悩んでいる方の力や励みに
なれればうれしいと思います。